パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第三話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第三話

 時刻は午前11時。出勤時間に指定された時刻までまだ3時間近くあった。初日から遅刻しちゃ不味いぞと気合を入れて早く出たのは良いけど、いくら何でも早すぎた。どこかで時間を潰そうかとちょっと歩いてみたけど基本的に畑と民家ばかりでドトールやマクドナルドなんかはついぞ発見できなかった。というかめちゃ寒い。どこでも良いから入りたい。ようやっと見つけたコンビニに入るも、イートインは無かったし立ち読みも禁止だった。時間を確認する。まだ先程から10分しか経っていない。ちょっとした絶望感があった。

 

 コンビニの軒下。震える手で缶コーヒーを飲みながらスマホに目を向ける。マップアプリで確認すると今しがたバスで来た道をそっくり戻れば繁華街があるようだったけど、縮尺を確認してため息が出た。5キロくらいある。逆に県道を先に進むと何度か耳にしたことがある厄除けで有名なお寺さんがあった。しかしこちらも徒歩でいくと中々の距離だ。この寒さではたどり着ける気がしない。

 結局悩んだ末、勤務地である『パーラースマイル』に戻った。

 

 平日のお昼過ぎだというのに、駐車場には車の影が沢山あった。ぐるりと一周してから建物を眺める。赤と朱の中間くらいの色に塗装された、優しい風合いの壁。建物自体は小さめの印象を受けた。駐車場の入口には巨大な看板。そして屋上というか、建物の上に直接大きな笑顔のマークのオブジェが立ててあるのが目についた。場所柄、ほとんどのお客さんが車で来店するのだから、道路から見てひと目でそれがぱちんこホールである事が分からないといけない。オブジェも看板もきっとそのためだ。腕時計に目を向ける。まだ20分も経っていない。

 

 よし。と思った。意を決する。ふんすと鼻で息をして気合を入れ店舗の入り口に立った。建物に近づくにつれ、色々な音が聞こえ始めた。キンキン。ズーン。キュインキュイン。ドドド。自動ドアが開くと、音圧が迫ってきた。微かなタバコの匂い。床のワックスだろうか、蜜蝋みたいな匂い。ほのかに芳香剤の香り。それと、古い建物そのものの匂いがした。頬を撫でる暖房の暖かさ。ホッするような気分になって、一歩踏み込む。

 

「いらっしゃいませ、お客様!」

 

 制服姿のスタッフさんがお腹の前で両手を揃えて一礼した。身長が高い。スラリと伸びた手足。ものすごい美人さんだった。思わずこちらも頭を下げる。一歩近づく。どうしよう。そうだ。まずは自己紹介をした方がいいだろう。それから事務所に連れて行って貰って──。喉を鳴らしながらて二歩目を踏み出した所で、スタッフさんは耳に手を充てながらくるりと踵を返し、ぱちんこ遊技機が並ぶ通路へと消えていった。見れば何やらインカムらしきものを装備している。ああ、なるほど、あれはそのうちぼくも付ける事になるんだろうなと、なんだか遠い世界の事のようにぼんやり思った。その場に立ったままスタッフさんの動きを目で追う。彼女はオレンジ色の箱を持ち、台に座るお客さんの横に立った。笑顔で何かを伝えたあと、その空箱をお客さんに渡して、今度はお客さんの目の前にある銀色の玉が満載になっている箱を持ち上げてどかした。通路には既に満タンになったオレンジの箱が沢山置かれていて、スタッフさんはその横に今しがた持ち上げた箱を置いた。さっと目で数える。箱の数はすでに10箱目に達していた。ということは少なくとも彼女は10回はあの箱を持ち上げたり下ろしたりしてるという事で、それは未だ門外漢のぼくにとっては、なかなかシビれる重労働のように思えた。

 しかし箱の交換……。なるほどこれが研修で言ってたヤツかァ……。出来るのだろうか。ぼくに。

 

 スタッフさんはその後お客さんと笑顔で何かやりとりをしていた。台に向き合う女性客。パーマがゆるくかかった主婦っぽい見た目の人だった。満面の笑みで喋りつつ、手はハンドルから決して離さない。耳に手を充てる。輝くような笑顔で一礼して、また別のお客さんの元へ。ああ、感じが良い店員さんだな……と思った。そうだ。ぼくは今日からあの人と一緒に働く事になるんだ。いまいち現実感が沸かない。とりあえず「忙しそうだな」と判断してその場を離れた。さて。どうしよう。ちょっと考えてから、ぼくはお店の中を探検する事にした。台が満載の店内。機械がいっぱい置いてあるシマを迂回するようにして外周の通路を回る。トイレの位置。カウンター。空気清浄機。ふんふんとか、なるほどとかつぶやきながら歩いていると──。

 

「嘘……。ピエロだ……」

 

 どうやら回胴式遊技機コーナーらしいそこは、ぱちんこ遊技機がある場所より少しだけシックな雰囲気になっていた。3台に1台くらいは誰かが座りボタンを押してはリールを止め、リールを止めてはレバーを叩き。各々真剣な顔で遊技している。去年の冬。教授から教えて貰った事を思い出した。ジャグラー。北電子の回胴式遊技機だ。発売は1996年。先生曰く、ぼくが語った思い出の中の台の情報と一致するのはこの台らしい。8台並んだジャグラーの、空いている台に近づく。気付いたら、リュックを下ろして足元に置き、椅子に座っていた。ピエロ。メリーゴーランドみたいな音。キラキラ輝く図柄。たしかにこの台な気がする。でも違うような気もする。いまいち確信が持てない。第一、15年以上経った今でも当時の台があるのは変だろう。隅々まで観察。観察──。

 

「打たないんですか?」

 

 声を掛けられて横を向くと、先程バスの中で大福をくれた老人が居た。ちょっと驚く。同時になんだか恥ずかしくなった。

 

「ああ……どうも、先程は……」
「お仕事はどうされました?」
「実は、まだ時間まで結構あって、ちょっとヒマ潰しを……」
「なるほど。いや、良かった」
「……良かった?」

 

 老人がクスッと笑った。

 

「お恥ずかしい話ですが、私最近パチスロを打ちはじめまして、目押しに自信が無いんですよ。若い方が隣に居て下さると助かる……」
「目押し……ですか」
「はい。目押し……。こう──図柄を揃えるやつです」
「ああ……。いや。ぼく実は初めてで……」
「なんと……。じゃあ今日は初出勤の前に初打ちですか。はは! それはまた、初めて尽くしの一日ですね」
「いや、ぼく……打たないッス。打たない──」
「……打たないんですか? 折角来たのに」
「ああ……。いや……。じゃあ、少しだけ──」

 

 財布を取り出しキョロキョロしてると、老人が台と台の間にある機械を指差してくれた。コインサンドと言われる貸出機だ。恐る恐る千円札を投入すると、ジャラジャラという音と共に下皿にメダルが落ちてきた。

 

「すいません、これ、どうすれば……」
「ええと──そこですね。その投入口にメダルを入れて──。そこのレバーを押し下げてみてください」
「こ、こうですか……?」

 

 ペッペレッペッペレペン! という音と共にリールが回転する。意外に速い。時折キラリと光る図柄が見えた。これか……これを狙うんだな。意を決して停止ボタンを押す。体でリズムを取る。光る図柄が停止した。次。真ん中のリールだ。同じようにして慎重にボタンを押すと、ど真ん中にまた7が来た。どんなもんだい。という気分になった。ゲームは学生の頃よくやっていたのだ。次、右リール。最後のリールだ。慎重に狙ってボタンを押す、が、全然見当違いの場所で絵柄が止まった。

 

「ンー。難しいですね……」
「あー……。違うんですよ。これは……」

 

──ここが光ったら当たりなんです。

 ああ。そうだ。この台はそうだ。ランプが光らないと駄目だ。揃わない。記憶が一気に蘇った。ぼくはパチスロを打つのはこれが初めてじゃない。お父さんの膝の上で、ただ見てただけじゃなくて何度もこうやってリールを止めている。リズムをとって、図柄を狙って。その度に父は笑っていた。パチスロはね。いくら狙ってもフラグが成立してないと揃わないんだよ。ここが光ったら揃うから。そしたら狙ってみよう。

 父の声が聞こえた気がした。

 ブドウ。リプレイ。リプレイ。ブドウ。何度か小さな絵柄が揃ったけど、千円分のメダルはあっという間に無くなった。追加でもう千円。これが最後だ。投入口にメダルを入れて、レバーを叩く。叩く。止める。止める。そして……。

 右のボタンを離した時、突然、ランプが光った。

 息を呑む。それから声が出そうになった。光ったよ。光ったよ。お父さん。膝の上ではしゃぐ。あの頃と同じだ。なんとも言えない驚きと、感動があった。そうだ。この台は間違いない。あの時の台は先生、ジャグラーで正解だったようです。

 

「キレイですねぇこのランプ……」
「おお……。当たりましたか……。じゃあ、揃えましょう。ボーナス……」
「はい──……やってみます」

 

 三枚入れてレバーを下げる。止める。止める。止める。だめだった。緊張からなのか、まるで揃わない。老人がハラハラと心配そうな顔でこちらをみていた。目押し。これが目押しか。なるほど。もう一度チャレンジするために三枚のメダルを投入する。指が震えているのが自分でも分かった。深呼吸してレバーを叩く。止める。今度は第一停止から全然見当違いの所で停まってしまった。諦めずにさらに三枚メダルを投入。レバーを叩く。リールが回る。意を決してボタンを押そうとした所で、駄目だ。怖くなった。揃えられる気がしない。

 

「店員さんを呼びましょうか……?」

 

 老人が言った。どうやらどうしても揃えられない場合、店員さんが揃えてくれるらしい。なんだ。それなら簡単じゃないか。頷くと、老人が台の上に手を伸ばして何かのボタンを押した。呼び出しランプだ。これも資料で見た。時間にして30秒ほど。やってきたのは、先程パチンココーナーにいた美人スタッフさんだった。ぼくの方に近づいてきて、スッと顔を近づけてくる。まつ毛も長い。なんだかいい匂いがした。

 

「どうされましたか?」
「あの……。これ……。そのォ……。光ってるんですけど、揃えられなくて……」

 

 背筋を伸ばすスタッフさん。お腹の前で両手を揃えて一礼する。そして微笑みを湛えたままこう言った。

 

「申し訳ございませんお客様。当店では目押し代行を全てお断りしています」
「……え?」
「スタッフが目押しを代行するのは法律上の『遊技の幇助』にあたるとして、警察からの指導対象となる可能性がございます。そして何よりお客様──」

 

 彼女は一段と素敵な、まるで天使みたいな笑顔を浮かべて、こう続けた。

 

「パチスロは、図柄を揃える瞬間が一番楽しいものなのですよ?」

 

 白い腕がスッと伸びてきて、ぼくの肩に触れる。モッズコート越しに、わずかに彼女の体温が伝わってきた。ポンポンと、まるで赤子をあやすように優しく叩く。ポン、ポン。ポン、ポン。

 

「このリズムです、お客様。どうぞ、お揃えください──」

 

 乾いた喉を鳴らして、台に向き直った。高速で回転するリール。肩のリズムを感じながら左リールを眺める。キラリと、光る図柄見えた気がした。ポン。ポン。ここだ。下段に7が停止する。刻むリズムが変わった。次は中リールだ。輝く図柄。リズム。勢いを付けて押すと、中段に7が止まる。

 

「さあどうぞ。最後です。次はこのリズムです……」
「もう一つ! 頑張れ!」

 

 スタッフさんと、それから大福の老人。二人に見守られながら、ぼくは肩のリズムにあわせて、夢中でボタンを押した。スローモーションだ。輝く7の図柄が枠上から降ってきて、そうして、上段に停まった。右上がり。赤い7図柄が揃っている。膝の上で見上げた父の顔はいつでも笑っていた。15年の時を経て見上げる。ハッとするほど綺麗な女性が、慈しむような顔で微笑んでいた。僕の耳に、懐かしいファンファーレが響く。メリーゴーランドの曲に似た、あの曲だ。口の中にチョコレートの味が広がったような気がした。くしゃくしゃになるまでぼくの頭を撫でる父。彼はこう言っていた。早く大きくなれよ。お前と並んでパチスロを打てる日が、待ち遠しいよ──。

 そっと、ハンカチが差し出される。気付いたら、僕は涙を流していたらしい。我に返って受け取る。涙を拭うと、バラのような香りがした。

 

「おめでとうございます、お客様──……!」
「ありがとうございます。その……貴方の──。スタッフさんのおかげです」
「とんでもございません。それでは、引き続きお楽しみください」

 

 去ってゆくスタッフさん。なんて素敵な方なんだろう──。この店舗に配属になって、本当に良かった! ホール運営の会社に就職して、本当に良かった……。感動に打ち震えていると、大福の老人が肩を叩いて祝福してくれた。

 

「良かったですねぇ。良かった。おめでとう! パチスロ初体験で初勝利なんて凄いじゃないですか。今日の初勤務もこれで頑張れそうですね!」

 

去っていくスタッフさんがピタリを足を停める。

 

「はい、がんばります……! お爺さんも、ありがとうございます!」
「いえいえ、私なんか全然……。そうだ。お兄さんは結局何屋さんなんですか?」
「何屋……。というか、へへ。実はここなんですよ。ホール。へへ。実はぼく今日からここのスタ……ウォフッ!」

 

 首根っこを掴まれて立たされた。何が起きたか分からず混乱していると、なんだかいい匂いがした。横を見ると、端正な顔があった。先程のスタッフさんだ。さっきまでの笑顔が嘘のように、なんだか能面みたいな表情になっている。ちょっと怖い。

 

「菅原……圭佑さんですか。本日付で当店に配属の……」
「え……。あ、はい。そうです。菅原で──うわ、ちょ……! リュック!」

 

 引きずられるようにして台から引き離された。そのまま通路の奥に引っ張り込まれ、スタッフオンリーと書かれた扉の奥に押し込まれる。事務机。ホワイトボード。PCと良くわからない機械たち。みたまんま、事務所らしい。一番奥に陣取るワイシャツのおじさんが、耳かきをしながら声を上げた。

 

「おー……。アクマちゃん。もう休憩入んの? ン。誰それ……。ゴトでも見つけた?」
「店長。こちら菅原さんです」
「ンー。菅原? あー……今日から配属の。早いね。……いや早すぎない?」
「このポンコツ、お客様と喋りながらジャグラーを打ってました……」
「ポンコツ……!?」
「あァ……。そりゃ不味いよー、新入社員くゥん。ボクらはねェ、自分の店と系列店じゃァ絶対に打っちゃ駄目なの。これルールその1だからねェ。ちゃんとメモっといてェ」
「え、あ……。すいません、知らなくて……!」

 

 アクマちゃん、と呼ばれた例の美人はさっきまでの笑顔が嘘のような冷たい目でビシっと指を突き立ててきた。

 

「それくらい、常識です! ……返事ィッ!」
「はい!! も、申し訳ございません!」
「あと──」
「な、なんでしょうか……」
「ハンカチ。ちゃんとクリーニングして返してください」

 

……これが、ぼくとパチンコホールとの。そして『パーラースマイル』の常連のみなさまとの。なにより、あの恐ろしい阿久牧子──アクマさんとの出会いだった。

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。