パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第八話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第八話

インカムを通じて短い呼び出し音が聞こえた。中央の通路に目を走らせると島の端に取り付けられたランプが点灯している。計数機で交換対応中の阿久さんがちらりと横目で視線を送ってきているのが分かったので右手を小さく挙げて応え、そのまま小走りで島に向かった。

 

「大変お待たせいたしました!」

 

呼び出しランプが点灯している台にはぼくと同じくらいの年の男のお客さんが座っていて、駆け寄るぼくに向かって、お箸に見立てた二本指を口の前で上下させる仕草をした。最初はこれが何のことか分からず困惑したものだけども、つまりは「食事休憩」の合図だった。

 

「承知いたしました。当店の食事休憩は40分となっております!」

 

笑顔で伝えながら胸ポケットに差し込んだ休憩カードに現在の時間を書き込む。お客さんに渡して、それから椅子の背後に常備してある「ただいま休憩中!」の札を機種の盤面に立て掛けた。つづいて鍵束に付けたリモコンをデータマシンに向けると、40分間のカウントが表示される。

通路の奥へと向かうお客さんを一礼して見送りながら、うむ、と頷きたい気分になった。我ながら完璧な休憩オペレーション。成長を実感する瞬間だった。真夜中の目押し修行を始めてから二週間。その頃になると阿久さんによる研修も新しいステップに進み、ぼくはいよいよ呼び出しランプにも対応するようになっていた。とはいえ、出来ることは今みたいな食事休憩のオペレーションと簡単なエラー解除。それからメダルの補給程度なのだけども、それでも格段に忙しくなった。

 

(……ポンコツ。聞こえますか)
(はい。菅原です)
(今のお客様の休憩。違います)
(……え?)

 

通路の向こうで真顔の阿久さんと目が合った。慌てて今しがた休憩札をかけた台に向き直る。札はオーケー。次にデータマシン。こちらにも「ノコリ39フン」と表示されていた。

 

(何を小首をかしげているのですか)
(あのー……。すいません、どこが間違っているかわかりません)
(ハァ……。何故気づかないんですか。リールが回っているでしょう)
(……あ。しまった)

 

遠くの阿久さんが張り付いた笑顔のままメガネの奥の冷たい目でこちらを見ていた。ああ、と思わず声が出る。リール回転中の休憩は駄目なのだ。必ず停止してもらわなければならない。

 

(いいですか、ポンコツ。リール回転中の機械の放置は無用なトラブルの元になります。そしてそれは、休憩中も同じです。二度説明しましたね?)
(……はい。二回聞きました)

 

なんとなく気配を感じて背後を見る。フロアの奥。パチンココーナーの隅っこでイガグリ頭の吉田くんが心配そうにこちらを見ていた。中腰になり、はわわ、と言わんばかりに口元に手をあてている。その後ろには藤瀬さん。心配してくれているのは嬉しいけれど、怒られているところをリアルタイムで見られるのは流石に恥ずかしい。

 

(……吉田。藤瀬。何をしてるんです。散りなさい)
(ハッ! 失礼しました! ……ねぇフジ子ちゃん、あの人目ェ良すぎないスカ? めっちゃ離れてるのに……)
(シッ。聴こえるって。カッちゃん……)
(聴こえてます。二人共、後から私の所へ来るように)
(!! ザッ……ザッ……)

 

ちょうどそのタイミングで、インカムを通じて呼び出し音が響いた。目を向けると、ジャグラーコーナーの島の端でランプが点灯している。

 

(今の呼び出しは恐らくマイジャグラーIIIの620番台。休憩です)
(え。なんで分かるんですか……?
(しっかりホールを見ているスタッフなら当然です。……で、どうするんですか?)
(あ! はい。ぼく行きます!)

 

咄嗟に右手を挙げて阿久さんに告げる。通路の向こうで、彼女は全然目が笑ってない笑顔のまま頷いた。よし、汚名返上だ。次の食事休憩オペレーションは完璧にこなしてみせる。リールは止めてもらう。お客さんにカードを渡す。札を立てかける。データマシンで時間をカウントする。よし。もう間違えない。大丈夫。大丈夫──。

阿久さんの言う通り、620番台は休憩だった。お客さんが不審に思うくらい何度も指差し確認をし、慎重にオペレーションを進める。

 

「よし。大丈夫! お客様、当店の食事休憩は40分となっております!」
「あ。うん。分かってるよ……」

 

たまに見かけるジャグラーコーナーの若い男のお客さんが、面食らったようにカードを受け取って通路の奥に消えていく。

 

「ごゆっくりどうぞッ!」

 

深々と礼をして見送る。完璧だ。大丈夫。これは間違っていない。思わず阿久さんに「ちゃんとできました」と報告しようと思ったけど、流石にそれはやめておいた。もし何か不備があるなら、きっと向こうから言ってくるはずだ。それがないという事はつまり、今度は何も失敗してない。大きく鼻で息を吐いて、それから踵を返す。と同時に声を掛けられた。短く刈り上げた白髪頭。薄手のサマージャケットを羽織ってジャグラーの前に腰掛けたまま、笑顔を浮かべている。

 

「やぁ、菅原さん!」
「あ。大福のおじさ……伊藤さん。いらっしゃいませ!」
「何だか、すっかり一人前のホールスタッフさんみたいになりましたね」
「え。そうですか!? いやだなぁ! ぼくなんかまだまだ……! え。見てましたかぼくの休憩オペレーション……。へへ。なんだか照れるなぁ……!」

 

見ると、大福のおじさんの隣にはトレードマークのスカーフを首に巻いた古馬さんが座っていた。ぼくの視線に気づくと小さく会釈を返してくれた。

 

「あ、古馬さんも。いらっしゃいませ。どうですか、今日の調子は」
「ぼちぼちねぇ。今日はなかなか光らなくて──。でもね、さっき一回当たったら、またすぐ光って……!」
「あ。知ってますそれ。ジャグ連っていうんですよね!」
「そう! ジャグ連したの!」

 

嬉しそうに笑う古馬さん。大福のおじさんはぼくらの様子を目を細めて見ながら、いいねぇと言っていた。それじゃ! 勤務に戻ります! と告げて立ち去ろうとした時に、ガコン! という音が聴こえた。

 

「わあ、光ったわ!」
「やったじゃない、よし江ちゃん! 調子上がってきたね!」

 

古馬さんの台。左下のランプが厳かに点灯している。大当たりだ。思わず回りを見る。髪の毛をツンツンに立てた金髪の若者。バーコードのおじさん。サングラスを掛けた老女。スーツ姿のサラリーマン。アロハの影がない。ゾエさんが居ない──!

1枚掛けで揃えようとする古馬さん。ゆっくりとタイミングを取りながら、左の停止ボタンを押す。赤い7図柄が下段に停止した。中ボタン。同じくタイミングを取るが、次はまるで見当違いの図柄が止まった。ああ、と声がする。大福のおじさんだった。惜しかったね、よし江ちゃん。でも上手くなってきてるよ──。

照明が落とされたホール。指に伝わるボタンの感触。ファンファーレが耳の奥で再生された気がした。

 

──いよいよだ。ぼくの出番が来た。ぼくはこの時を待っていたのである。

 

「古馬さん。伊藤さん。大丈夫です。ぼくに──この菅原圭佑にお任せ下さい」
「……え。ああ、どうしたんだい、菅原さん」
「フフン。古馬さん。ちょっとお肩を失礼します──」

 

古馬さんの肩に触れる。いつだったか、阿久さんがぼくにしてくれたように。リールの動きにあわせてポンポンとリズムを取る。

 

「古馬さん。このリズムです。どうぞ、お揃えください──……」
「あ。ああ、はい。ありがとう──」

 

第一停止。第二停止。そして、図柄は見事に揃った。

 

「よっしゃ! おめでとうございます! お客様──!」
「へぇ! 菅原さん凄いじゃないか。目押しが出来るようになったんですね」
「はい。修行の賜物です……」
「修行! 修行してたのかい」
「ええ、それはそれは、大変な修行でした。毎晩真っ暗なホールで、なんかお化けみたいな影も何度か見ながら……」
「お化け……。そんなの居るのこのホール」
「はい……。あ、いや、見たような気がしただけなんですけども、とにかく、目押しはこんな感じで、ついに体得しました」

 

ありがとうね! と古馬さんは言った。どういたしまして。と応えた。凄い達成感だった。その日は呼び出しランプの対応をしつつもジャグラーの島に張り付き、二人のうちどちらかのランプが光ろうものなら即座に駆け寄って肩をポンポンしまくった。ボーナス総回数、締めて15回。最後の方は流石にぼくも疲れてきたけども、大好きな常連さんお二人のためなら、こんな苦労、へのかっぱだ。

 

「このリズムです、伊藤さん! ポン、ポン、ポン──」
「あ、ああ。こうか。こうだね。うん」
「そうです。オーケー。大丈夫。次こうです」
「うん」
「最後はこのリズム。ポン、ポン──、はい揃った! お見事! おめでとうございます、お客様……!」

 

深々と礼をする。

 

「ああ。あのー。ありがとう、菅原さん……」
「へへ。どういたしまして、ですよ! お二人の目押しはねぇ、もうぼくに任せてください。ペカったらすぐすっ飛んできますからね!」
「あ、ああ──……うん」

 

動労の満足感を胸いっぱいに感じながら通路に戻る。腕時計に目を向けると、そろそろB番はあがりの時間だった。おお、一生懸命頑張ったので時間が経つのも早いじゃないか。思わず口元がほころんだ。今日はそうだな、吉田くんでも誘って一杯飲んで帰るのも良いかもしれない。

そんな事を思いながら残りわずかの勤務時間を笑顔で過ごしていると、耳元にノイズが走った。阿久さんだ。通路の向こうに目を向ける。石膏像みたいな白い肌。目が笑っていない笑顔。いつも通りの阿久さんだった。ただ、声のトーンが少し違った。諌めるのでも、叱るのでもない。感情が乗らない、平坦な声。彼女の声が、インカムを通して耳元に響いた。

 

──菅原。それは本当に、お客様の為ですか?

 

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。