パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十話

ホールの開店時間になった。先に並んでいたお客たちは既に意気揚々と入店してしまっている。寒風が吹く中、さちは先程から自分を足止めしている若い男を前に、大きなため息を吐いた。忌々しい。早くあの店に入ってパチンコかパチスロを打ちたいのに、男はさちと店に向かう道を塞ぐようにして立ったままギャンブル障害がどうのと何やら熱弁を奮っている。

 

「……というわけですよ、三浦さん」
「なにがよ……」
「だから、ギャンブル障害は別に病気じゃないんですよ。病気だったら薬を飲んだり手術で治るかもしれないけど、ギャンブル障害はそうじゃない。ね。ね。すごくないですか……!」

 

菅原と名乗った男の脱線しがちな話を纏めるとどうやらこうだった。曰く、ギャンブル障害と呼ばれる状態になっている人間はそうならざるを得なかった別の問題を抱えている場合が多いらしい。精神疾患かもしれないし、あるいは仕事上の問題。借金の問題。または──家庭内での問題。チクリと胸が痛んだ。

 

「なので、まず最初に解決するべきはそこなんですって……! まあこれは受け売りなんですけどね。あ、僕これでも大学時代にちょっぴり精神保健を齧ってて、まあ授業中はほとんど寝てましたけどね! でもそこの先生が凄いひとだったらしくて! これも最近知ったんですけど! その先生の受け売りです! へへ!」
「何笑ってんのよ……」
「いやぁ、だって嬉しいじゃないですか!」
「……嬉しい?」
「原因が分かって、問題のある遊技じゃない、適切な距離を保った遊技が出来るようになれば、また三浦さんをウチで……『パーラースマイル』でお客様として迎えられるようになるんだもの!」
「また、お客様として……? 私を?」
「そうですよ! 当たり前じゃないですかいやだなぁ! へへ」

 

頭の中に再びいくつもの疑問符が浮かんできた所で、さちが立つ路地の脇に一台の乗用車が停まった。青いステーションワゴンだ。

 

「あ! 来ましたね! 三浦さん、今からちょっと一緒に来てもらいたい所があります!」

 

乗用車の運転席が開く。黒いタイトスカートの女が降りてきた。スラリとした長身。印象的だったメガネをつけていないので最初は誰だか分からなかったが、よく見るとあの、阿久という女だった。さちを出入り禁止にしたイヤな女だ。車から降りた阿久はそのまま助手席側に回るとドアを開き、此方に向かって一礼した。

 

「ささ! 三浦さん! 乗ってください」
「イヤよ……。どこに連れて行く気……?」
「いいから。いいから……! 早く早く。いきましょ!」
「ちょっと、押さないでよ。あなたたち一体何なのよ──!」

 

**********

 

運転席でハンドルを握る阿久。助手席の菅原がハシャいだように何やら話しかけている様を、さちは後部座席から見ていた。

 

「いやー! 阿久さん車持ってたんですね! 助かりましたよ!」
「私の車ではありません」
「え、そうなんですか。これ誰の……」
「吉田です」
「吉田くん!? 車持ってるんだ! 貧乏そうなのに! てかいつも原チャリじゃないですっけ彼。なんで車も持ってんだ……」
「ポンコツ。吉田はああ見えてボンボンなのです」
「え、そうなんですか?」
「そうです」
「だって、いっつもお金ないお金ない言ってますよ? 給料日には僕にたかって来るし」
「吉田は単純にお金の使い方が荒いのです。だから常に金欠で苦しんでいるんです」
「ボンボンなのに?」
「ボンボンだから、です。何不自由なく育ったので金銭感覚が小学生なのです」
「小学生なんですか!」
「小学生です」
「……じゃあ、車は親御さんに?」
「当然です。保険料や税金も。そして家賃もです。さらに小遣いも結構な金額を貰っています。オマケに成人しているのにお年玉も貰っています」
「マジか……。え、てか何故阿久さんはそんな情報を知ってるんですか……?」
「本人が面接の時に喋っていたからです」
「吉田くん馬鹿なんだなぁ……」
「ええ、馬鹿なのです」

 

何故自分はこの車に乗ってしまったんだろう。考えながら運転席の方を観察していると、バックミラー越しに阿久と目が合った。化粧っ気は薄いが、整ったナッツ型の目。

 

「三浦さま。体調はいかがですか?」
「……別に。どうもないけど」
「そうですか。お食事は摂られていますか?」
「ええ。ご心配なく」

 

嘘だった。もう随分まともな食事は摂っていない。

 

「ポンコツ、あれを三浦さまに」
「あ。そうだそうだ。三浦さん……コレどうぞ」

 

助手席から差し出されたビニール袋を受け取る。中身を覗くとペットボトルや食べ物が入っていた。

 

「三浦さまは何をお好みか分からなかったので一通り揃えておきました。肉まん、カレーまん、ピザまん。チキンやポテト、おにぎり。サンドウィッチ。飲み物もお茶とコーヒー、コーラを用意しています」
「……いらない」
「そうですか」

 

受け取った袋をそのまま突っ返す。助手席の男が意外そうな顔でそれを受け取ると中をごそごそ探り、包装紙に包まれた饅頭を取り出した。僅かに湯気が立っている。

 

「これ阿久さんすいません、あんまん貰っていいです?」
「どうぞ」
「へへ。やった! 糖分頂きます!」

 

美味そうにあんまんに食いつく菅原の横顔を見ていると、急に空腹を憶えた。とはいえいまさら呉れというわけにも行かず、さちは腹が鳴りそうになるのを耐えつつ気を紛らわせる為に車外の風景に意識を向けた。自宅の方に近づいている。一体何のつもりか知らないが、これは誘拐ではないのだろうか。一瞬警察に通報しようかと思ったが、無理やり車に連れ込まれたわけでもないので動いてくれないような気がする。

 

「私の家に向かってるの? もしかして夫に何かお願いされたの?」
「いえ、三浦さまのご自宅に向かっているわけではありません」

 

その言葉に、少しだけ気が楽になった。が、次の言葉で一気に目の前が暗くなった。

 

「旦那さまにお願いはされています」

 

薄々そんな予感はしていた。口の端が歪む。何故だろう。とっくに全てを手放したつもりでいたのに、もっと決定的な何かがすぐ目の前まで迫っているような恐怖を感じた。

 

「夫は……。太陽さんは何て?」
「心配されていました」
「彼、怒ってた?」
「いえ。ちっとも。反省されておいででした」
「……反省?」
「ええ。とても、反省されておいででした」
「……どういう事?」

 

膝の辺りに重量を感じた。景色が流れる速度が遅くなる。ステップワゴンはウインカーを上げて、駐車場へと入っているようだ。窓の外に目を向けると、見慣れたホールの姿があった。『パーラースマイル』だ。

 

「あとは、ご自分で。ご本人に訊かれてください」

 

ワゴンは店舗正面入口の目の前のスペースに停車した。自動ドアの真横辺りに、三つ揃えのスーツを着た男が立っている。見紛うはずもない。夫の姿があった。鼓動が高鳴る。思わず耳を塞いでうずくまりたい欲求に駆られたが、それよりも先にウィンドウの向こうから声が聞こえてきた。

 

「さち……! さち!」

 

運転席側で操作したのだろう、パワーウィンドウが開く。夫が駆け寄ってきて、窓から車内に侵入せんばかりの勢いで身を乗り出してきていた。

 

「お前、大丈夫だったかい? どうしたんだよ一体……!」
「あなた……」
「ああ! とにかく無事で良かった。本当に……。阿久さん、菅原さん。ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……」

 

夫の目には涙が浮かんでいた。この人は出会った頃からずっとそうだ。気丈に見えるけど格好だけで、泣き虫な人なのだ。

 

「それでは。会場へ向かいましょう」

 

サイドブレーキを引いた阿久がエンジンを停止させながら言った。菅原もシートベルトを外しながら頷く。会場……? なんのことだろう。

 

「三浦さま。これからパチンコ出玉バトルに出場して頂きます。場所はこの『パーラースマイル』。対戦相手は……」

 

夫が、目の端を親指で拭いながら頷いた。

 

「僕だよ。さち」

 

 
続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。