並んでハンドルを握り始めてから二時間ほどが経過した。夫の最初の当たりは確変突入せず。出玉もすぐに飲まれてしまい、当たり前のように追加投資が始まった。わたしの台は200回転ほど回したところでようやく初当たりを引くも、やはり時短止まりで確変入りは叶わなかった。その後、夫とわたしで一度ずつ当たりを射止める事が出来たが、やはりそこでも連チャンはせず。
「これ、どうやったら玉が増えるんだ?」
夫が画面から目を離し、BGMに負けないように少し大きな声で聞いてきた。わたしは少し考えてから、その説明が非常に面倒な事に思い至って少しげんなりした。なので、簡潔にこう答える事にした。
「一回当てて、その後にまたすぐ当たったら、あとはどんどん連チャンするから」
「なるほどね……」
分かったような分からないような顔をして夫が頷く。先程からしきりに鼻の頭を掻いてるのは、タバコが吸いたい時のサインだ。
「タバコ、吸ってもいいよ」
「……いや、いい」
「どうして」
早朝、自宅の二階のカーテンの隙間から庭を見下ろした時に、パジャマ姿でタバコを吸う夫の姿を何度か見たことがあった。産婦人科の医者から何を言われたか知らないけど、いつの頃からか夫はわたしに隠れてタバコを吸うようになった。
「吸ってもいいから。灰皿はそこ──。台の横に」
「いいんだ」
「……そう」
ぐるぐると回る図柄。ハンドルを通して、玉の射出の振動が僅かに伝わってくる。雑多なBGMがマーブル色に溶けて、フロアに染み込んだワックスの匂いと一緒に身体を包み込んでくる。空虚な時間。こうしていると何も考えずに済む。最初はただ面倒な日常から逃げたくて始めた遊びだったけども、いつしかこの怠惰で贅沢な時間がかけがえのないものになった。
「ねぇ、あなた」
深く考えずに口を開いていた。夫が僅かに首を此方に向ける。
「わたしは、あなたにとって、何なのかしら」
夫は少し意外そうな顔をして、ハンドルを握ったまま笑った。
「何なのかしらって、何さ。きみはきみだろう。僕の奥さんで、僕の大切な──」
「わたしは、あなたの家族を作ってあげる事ができない。庭に小さなブランコがあって皆で遊んだり──縁側に座って、夏に子どもたちが花火をしたりスイカを食べたり、冬に雪だるまを作っているのを二人で眺めるような……。あなたの理想は叶えてあげられない」
夫の台から派手な音がした。保留は赤。夫はぼんやりそれを眺めながら、下唇を少し噛んでいるのが分かった。演出はそのままスーパーリーチに発展した。例によってサラ・コナーとT-1000の戦い。それから少し間をおいてT-800が参戦した。
「──僕はね。さち、自分を可哀想なヤツだと思っていたんだ」
大当たりのド派手な効果音の中でも、その言葉はハッキリと聞こえた。三度目の大当たりなので少し慣れた様子でハンドルを右に回すと、ジャラジャラと音を立てながら4ラウンド分の出玉が払い出され始めた。
「だってそうだろう。幸せな家庭を作りたくて必死に頑張っていたのに、それがどうやら叶わないって。もう少しだったんだよ。もう少し。結婚もして家も買って。仕事も順風満帆。でもあとほんの目と鼻の先でシャッターが降りるみたいにさ。突然……」
返す言葉がない。鼻の奥にツンと痛みが走った気がした。わたしの不妊治療に関して、夫が愚痴らしい愚痴を言うのはこれが初めての事だ。
「ごめんなさい……」
咄嗟に声を出す。夫が首を振った。
「違うんだよ。そうじゃないんだ、さち」
それから彼はパチンコの画面から目をそらさず、鼻で息を吸ってから続けた。
「僕が頑張っていたのは、きみと一緒に歩いて行きたかったからなんだよ。まずはきみさ。きみとじゃなきゃ意味がないんだ。なのに最近僕はきみに冷たかったのかも知れない。きみの事を考える余裕がなかったんだ。僕は僕の事を可哀想なヤツだと思いながら、きみから逃げていた。向き合うのを恐れていた。だって、本気で向き合ったら、きみが僕の元から去っていく気がして」
夫の台はやはり確変入りはならず。時短の消化が始まる。右側に流れる玉。それに合わせて図柄がどんどん回ってゆく。
「だから、ごめん。きみと向き合わなくてごめん。君が家から出ていった時、僕は苦しくて気が狂いそうだった。食事も喉を通らないし、眠れないし。心配で心配で……いや、それよりも後悔で押しつぶされそうになった。だからさち──」
時短中の画面でターミネーターのロゴマークが大写しになる。先読み演出だ。次に数字の3が表示され、そして2。さらに1。間髪おかずに『レバーを引け』のサイン。
「僕がこの勝負に買ったら、お願いだから家に戻ってきておくれ。そうして二人で、もう一度やり直そう。二人の家庭。僕と君の生活を」
夫がハンドルを握ったまま、空いた左手でレバーギミックを引く。派手な効果音と共に台枠がレインボーに輝く。一度暗転した後、画面上には7図柄が揃っていた。
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雪やこんこ。あられやこんこ。冬の歌に謳われる歌詞は北関東には適用されないらしく、我らが『パーラースマイル』の駐車場に降り積もった5センチほどの積雪は、どっちかというとズンズとかそっち系の音の方がシックリくる感じだった。
スコップで雪を掻き、排水溝に捨てる。ここ数日間、開店前に行う朝番の恒例行事だ。最初の日は何となく楽しい感じがしたけども、翌日に酷い筋肉痛になってからが「こりゃ偉い事になったぞ」といよいよ自体の深刻さが分かった次第。吉田のカッちゃん何かは最初は雪だるまを作って遊んでたけども、雪掻きを始めた瞬間ゾンビみたいな顔になってた。
「あ、伊藤さん、こんにシワス!」
「おはよう菅原さん。……こんにシワス? ってなんですか」
「師走の挨拶ですよ! 僕が考えました! 面白くないですか? こんにシワス! へへ」
「ああ、なるほどね……。しかし凄い雪だねぇ今日は……」
「ね! 北関東の冬は凄いなぁ……。まったく! 雪は困ったもんでスノー!」
「……はは。ああ、これ良かったらどうぞ」
「なんですか、これ」
「うちで作ったおしるこだよ。魔法瓶に入れてるから暫く温かいと思うよ。休憩中に温まってください」
「わあ! おしるこ! これは嬉しい! イエーイ! へへ! どうぞ店内へ……! パーラースマイルへようこそ!」
早速魔法瓶のキャップをコップ代わりに少しいただくと、喉の奥が火照るほど甘くて最高に美味しかった。脳に糖分が行き渡って、なんだか元気になる。スコップを立てた状態で背中を伸ばしてストレッチする。吐いた息が白かった。
「よー、元気かよポン」
「ゾエさん! こんにシワス!」
「はは。師走の挨拶ってか。いいじゃねぇか。こんにシワス!」
「雪は困ったもんでスノー!」
「ああ、ほんと困ったもんでスノーだぜ。ほらこれ、食べてくれよ」
「なんですかこれ……」
「ウチで作ったココアだよ。今度店先で出そうと思ってよォ」
「え! ココア! 凄い! 甘いヤツですか!」
「とびっきり甘ェよ。飛ぶぜ?」
「やったー! ありがとうございます! どうぞ店内へ! パーラースマイルへようこそ!」
お土産用のボックスに2つの魔法瓶を置いてから、また雪掻きを始めた。今までの人生でやったことのない作業だったけど、慣れてくると効率的な方法というのが分かってくる。使う道具は違うけど、要は落ち葉を集めるのと同じだ。中心から隅っこに向けて作業して、どこかに山を作って一気に捨てる。そうやって放射状に作業すれば効率が良いのだ。
「菅原さん。おはよう」
「こんにシワス……!」
後ろから声を掛けられたので反射的に返事をしてから振り返る。
「お。さちさんと太陽さんじゃないですか!」
「なに、こんにシワスって……。それ面白くないからヤメた方がいいわよ」
「えー、そうですかぁ。結構ウケるんだけどなぁ」
つややかな髪をアップに纏めたロングコート姿のさちさんの隣で、オレンジ色のブレザーを着た太陽さんが苦笑いしていた。
「大変ですね、雪掻き。僕も事務所の駐車場で毎日やってるから分かりますよ」
「作業は結構面白いんですけども、筋肉痛がイヤかなぁ……。僕もやしっ子なんで」
僕の言葉に苦笑いする太陽さんの横で、さちさんが呆れたような声を出した。
「それ、自分で言うことなの……?」
薄いけどしっかりとよそ行きに施されたメイク。どうやら化粧映えする顔らしく、少し前のノーメイク時代からすると印象が全く違った。藤瀬さんやカッちゃんが彼女の事を覚えていなかったのも分かる気がした。
「あ。もうひとつ挨拶を考えたんですよ。いいですか? いいですか?」
「なによ……。寒いから早くしてくれない?」
「雪は困ったもんでスノー!」
真顔で黙るさちさん。太陽さんも暫く困ったような顔をしてたけども、たっぷり三秒ほどして、さちさんが破顔した。
「ぷっ……。馬鹿じゃないの。くだらなすぎて思わず笑っちゃったじゃない……。あはは……!」
お腹を抱えて笑うさちさん。目の端に涙まで浮かべていた。小さくガッツポーズをして、僕は深く例をしながら言った。
「さちさん、太陽さん。どうぞ店内へ。……パーラースマイルへようこそ!」
続く
※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。
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浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。