パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十九話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十九話

ディスプレイに向かいつつ一本指打法でキーボードを叩く。赤ん坊騒動もあって作業の進捗はかなり遅れていた。何の略かは知らないけども、POSのデータを確認しながら月次の売上の推移を見て、先月の今頃作った目標値と比較する。集中して作業をしていると自分がほとんど瞬きをしていない事に気づいて、慌てて目薬を差した。スッとするような刺激に涙腺から涙が溢れた。

大学時代は全く気にしたことがなかったけども、デスクワークが増えてきた去年の冬くらいから何だか目の調子がおかしくなった。心配になって眼科に行くと、白衣のおじさんから「ドライアイですね」と言われてびっくりしたのを覚えてる。ドライアイ。横文字だ。どうすれば治るんですかとの質問に、おじさんはただ「そんなヒドくないから、意識的に瞬きすればいいよ」としか教えてくれなかった。

ティッシュで涙を拭きながら何度か瞬きをして、それから一度肩を回した。ドライアイもそうだけども、肩こりも酷い。こちらは受験勉強の時以来だ。大きく深呼吸をして「よし」と気合をいれ、またディスプレイに向き合う。

入社して最初の一年はホールスタッフとしての仕事を覚えるのが精一杯でデスクワークはほとんどやってなかった。これはひとえに大熊店長のさじ加減だと思うのだけども、そのツケは何となくホールのオペレーションを覚えた頃に一気に回収される事になった。デスクワーク、爆増の巻だ。日報、週報、月報はもちろん、例えばやってみるまで知らなかったけど、新台入替の準備作業なんかも、実は信じられない量の書類仕事がある。

というわけで、最近はホールに出る時間がちょっと減少傾向にあり、代わりに事務所に詰める時間が増えてきた。うーん。自分としてはお客さんと触れ合ってる方が性に合ってるんだけども。

 

「オッツァレッス! 戻りましたッス……!」
「あー吉田くん。おつかれさまァ」

 

休憩に出ていた吉田くんが戻ってきた。一瞬の事のようだったけども、気づいたら一時間ほどの時間が経っていたようだ。どうりで目が乾くはずだ。僕も一息入れよう。事務所の冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。

 

「赤ん坊どうですか……?」
「寝てるんじゃない? 藤瀬さんがつきっきりで一緒にいるよ」
「どこッスか?」
「倉庫」
「倉庫って……。二階っスか?」
「うん。何か阿久さんが『ベッドがあるのでそこで寝かせなさい』って。藤瀬さんと赤ん坊連れてっちゃった」
「へぇ……。ありましたっけ。倉庫にベッドなんか」
「さァ……。見たことないけど、あるんじゃない?」

 

パーラースマイルの二階。通称「倉庫」はいつ使うか良くわからないお店の備品や廃棄機械。それから移設予定の機械の一時的な置き場所になっていた。入替え作業の時に何度か足を踏み入れた事があるけども、何となく不気味な雰囲気だし特に他の用もないので隅々まで探検したことは今まで無かった。

 

「ああ、でも確かに。あの、カメさんってお爺ちゃんいるじゃないッスか。アゲハさんといつも一緒にいる。あの人一回お店で倒れたことあるんスよ」
「え、そうなの? いつ頃?」
「一昨年かなぁ……。ポンさんが入るちょっと前っスね」
「へぇ、知らなかった……」
「んで、その時確か、救急車来るまでにわたしが応急処置します! って、カメさんを二階に連れてったんスよね。阿久牧子」
「あー……。じゃあアレじゃない? 保健室みたいなのがあるんじゃない?」
「倉庫にィ? ンー。あってもおかしくは無いッスけど……」
「あ……そうだ」

 

いつだったか、目押し練習のために深夜のホールで作業していた時の事を思い出した。暗闇の中で僅かに揺れる人影めいた気配。そうだ。斉木くんと三波さんが初めて来た日、セキュリティは掛かってたはずなのに彼女はお店の中に居た。着替え。深夜の残業。色々な単語が頭の中を駆け巡って、それから僕はちょっと笑ってしまった。

 

「いや、まさかね。へへ……」

 

インカムや鍵束が入ったポーチをベルトに通しながら、吉田のカッちゃんが不思議そうな顔で何事かを聞いてきた。何も聴こえない。そして聴こえないというのを理解するより先に、足元に違和感が来た。吉田くんの表情が歪む。次の瞬間。

 

「うわ……!」
「ちょ……なにこれ。デカい! 地震!?」

 

低い地鳴りが響く。事務所に置かれたあらゆる雑多な小物が、ダンスでも踊るように左右に体を振っている。そしてそれらが背の高い順に倒れ、棚から落ちて割れたり、跳ねたりした。

 

「よ、吉田くん! POSのディスプレイおさえて! やばいラック倒れる!」

 

とっさに歩みよって、資料がギチギチに差し込まれたパイプラックに背中を預ける。吉田くんが必死に精密機械類を手で押えながら、スケボーの上でバランスを取るように膝を左右に動かしている。そういうふうに見える。もちろん、揺れてるのは地面の方で彼の膝じゃないのだけども。

 

(……全員、す………客様の……難を!)

 

阿久さんの声だ。彼女が慌ててる声を効くのはこれで二度目。しかも両方とも今日だ。頭の回転が全く追いつかず、ぼんやり「珍しい事もあるもんだなァ」と思った。ラックの上に置いた、廃棄予定の古いインカムが大量に落ちてくる。いくつかは僕の頭に当たって跳ね、いくつかは直接床に落ちてプラスチックの破片を散らした。

 

(ポンコツ! 聞こえますか! 応答しなさい! 全員、お客様の避難を最優先に。避難経路はBの出口です。駐車場へ誘導して下さい。蛍光灯の下は歩かないように。風防のアクリルの下も絶対に歩いてはいけません。出玉の保証、大当りの保証についてはその場での説明は必要ありません。人命を最優先に。繰り返します。全員、お客様の避難を最優先に! 経路はBの出口です。駐車場へ誘導してください。蛍光灯の下は歩かないように──)

 

阿久さんの言葉をかき消すように、けたたましいサイレンの音が鳴った。必死にラックを押えながらポケットをまさぐる。スマホに見たことの無い表示が出ていた。緊急地震速報。強い揺れが来ます。

 

「もう来てるっての……」

 

やがて、少しずつ揺れが収まってきた。地鳴りのような音が小さくなるにつれ、甲高い別の音が耳を打ち始めた。町内会のサイレン。それから、駐車場の車が一斉に盗難防止のブザーを発している。

 

「ありがとう吉田くん! すぐに売り場へ! 僕も行く!」
「わ、分かったッス……。うわ、ちょっとポンさん!」
「え?」
「血ィ出てるッスよ! 頭!」
「うそん。……げぇ! マジだ!」

 

何となく痛痒いような気がして頭頂部あたりを弄った手のひらが、真っ赤に染まっていた。

 

「だ、大丈夫なんスか!?」

「いやー、全然痛くない。ほんとに。これ別にいいから、とにかく早く売り場へ!」

事務所の扉を開け、大急ぎでフロアへ出た。

「うわ、何だこれ……」

 

思わず吉田くんと目を見合わせる。停電により全ての台が止まった店内。南側を向いたガラス張りの壁に大きな亀裂が入っていて、そこからフロアに差し込む午後の日差しが、一面をキラキラと輝かせていた。なんでこんなキレイなのか意味不明だったけども、足元に目を落としてすぐに理解した。ぱちんこ玉だ。別積みしていた出玉を、誰かがひっくり返してしまったのだろう。

 

「吉田くん、転ばないように……。いこう」
「了解ッス……」

 

サイレンや防犯ブザー、町内の緊急放送。それに負けないように声を張り上げ、誰かが注意を促していた。斉木くんの声だ。B出口。駐車場に面した、風除室がない小さな入口。緊急の際にはこの扉を使う事になっている。ぱちんこ玉に足を取られないように気をつけて向かうと、斉木くんが自動ドアをこじ開けて背中をストッパー代わりにしながら、店内のお客さんの避難を補助しているところだった。

 

「……斉木くん!」
「ああ、菅原さん! ちょ、怪我してるじゃないですか!」
「いや、これ全然大丈夫だから……。それより、お客さんは大丈夫!?」
「はい! 今の所怪我をされたお客様はいません!」

 

ひび割れたガラスの向こうに目を向ける。駐車場で屯するお客さんたち。見知った常連さんたちも全員スマホの画面を見たり、誰かに電話したりと、一見元気そうに見えた。阿久さんと三波さんが彼らに向かって状況を説明している。おそらくは出玉保証についてだろう。

斉木くんの脇をすり抜けて、僕は駐車場へと向かった。

バキバキに割れたガラスでも、やっぱり一定の防音効果はあるらしい。駐車場のアスファルトに立った瞬間、不穏なサイレンの音が耳を突いた。駐車場に立つお客さんは50人ほど。国道へ出ようとする車が車両出入り口で渋滞しているところを見ると、やっぱりみんな家が心配ですぐに車に飛び乗ったようだ。

斉木くんの言う通り、見た感じ出血してる人や倒れている人は誰もいないようだ。ホッと胸を撫で下ろして、阿久さんに説明を受けている一団に近づく。白い七分丈のパンツに、ぴしっとしたサマージャケットを羽織った伊藤さんが、僕に気づいてぎょっと目を見開いた。

 

「ああ、菅原さん! 血が出てるじゃないか!」
「伊藤さん……。ご無事でしたか?」
「それこっちのセリフだよ……。大丈夫なのかい?」
「はい。これはもう全然。無視してください」
「菅原くん、絆創膏あげようか……?」

 

僕のことを心配した古馬さんが、ハンドバッグの中から取り出した絆創膏を差し出してくれた。一礼して受け取る。

 

「ああ古馬さん、ありがとうございます……」
「いやいや、よし江ちゃん、流石にこの出血で絆創膏は……」
「うお、ポン! お前大丈夫かよ!」
「ああ、ゾエさん。よかった無事で……」
「お前が無事じゃねぇよ! ちょっと阿久ちゃん! 救急車呼んだ方がいいんじゃねぇのコイツ……! なあ、阿久……」

 

阿久さんが、まっすぐ僕を見ていた。それから表情ひとつ変えずに素早く僕の元へ歩み寄る。コツコツと、シューズがアスファルトを叩く音がした。

 

「ポンコツ──」

 

いつも無表情な阿久さんがほんの少し困ったように眉を下げ。それからその瞳を、本当に少しだけ弓形に細めた。口の端がちょっとだけ上がる。いつもおっかなくて未だに苦手意識があるけども、初日以来久々に向けられた、そのお客さん向けの優しい表情を見てると、なんだか見ちゃいけないものを見てしまったような、恥ずかしい気持ちになった。

 

「痛い時は、ちゃんと痛いと言うのです。ポンコツ」

 

僕は一度目を閉じてからゆっくりと深呼吸をした。すぐ近くに立つ阿久さんの方から、香水でもシャンプーでもない。清潔な匂いがした。柔軟剤かな? 何を使ってるんだろう。好きな匂いだから今度教えてもらわなきゃ。

 

「はい。めちゃくちゃ痛いです……」

 

そうして、僕は意識を失った。

 

 

 

 

続く

 

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。