パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第三十二話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第三十二話

散乱したガラス片が西に傾き始めた太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。常連客は全員自宅の様子を見るために帰ってしまったので、一応営業時間中だというのに駐車場も伽藍堂のようになっている。唯一、つい数時間前に牧子自身の手でガラスを割った黒いワンボックスカーだけが、異常事態から取り残されたように佇んでいた。

ひび割れたアスファルトの隙間に入り込んだ鋭利なガラス片。箒を動かす手を止めて屈み込み、軍手を装着した手でつまみ上げる。麻の袋に投げ込むと、かちゃりと音がした。立ち上がって背筋を伸ばす。振り返ると電飾が消えたパーラースマイルの姿が、西日を背にして輪郭だけを黒く浮かび上がらせている。

耳元にノイズ。続いて、女の声がした。二階で珍客の世話をしている藤瀬だ。

(阿久さん、そっち大丈夫ですか?)

インカムに唇を近づけて答える。

「大丈夫です。藤瀬はそのまま赤ちゃんの側に居て下さい。吉田と三波。作業を続けながらでいいので聞いてください。店内のガラス片の撤去は危険のない範囲で結構です。倒れた什器等は無理に戻そうとせずそのままで。別積みの出玉とメダルは一度ストッカーに戻してください」

一度深呼吸して続けた。

「──菅原は本日病院に一泊します。といっても一応頭を打っているので大事を取っての事なので、怪我自体大したことはありません。現在は斉木がついていますが、タイミングを見て戻ってきます。買い出しに出た大熊店長は無事ならばまもなく戻ってくる頃だと思います。後の判断は店長の指示に従ってください」

一度通話ボタンを離したあと、少し考えてもう一度押した。

「……なお、自宅の様子が気になる方はこのまま帰っても大丈夫です。タイムカードを切るのを忘れないように。公共交通機関が運行が混乱しているようなので、もしバスや電車を利用する人は、吉田を頼るか店長が戻るのを待って下さい。以上です」

駐車場に面したガラス面は半分以上が割れてしまっていた。大きな地震だったというのもあるが、それ以上に建物自体の経年劣化で構造に歪みが出ていたせいだろう。畑の方から細かい砂を含んだ風がやってきて、そのまま遮蔽物のない店内へ吹き込んでいた。ああ、ブルーシートを用意しなければならない。頭の片隅で思いながら、そうして牧子は頭の片隅に、どんよりとした暗いものが居座っている事に気づいた。

もう一度店舗を見上げる。父の声が聞こえるような気がした。

(牧子。この建物は好きかい? 嫌じゃないかい?)

いちばん最初に──父に手を引かれたままこうやって建物を見上げた時から、一度だって嫌だった事なんてない。なにせ当時の自分の目には、世の中の怖いものや嫌なものから自分たち親子を守ってくれる、美しくて堅牢な城に見えたのだから。

**********

牧子の家は東京の片隅。葛飾区の一角にあった。母の名前は典子で父は拓郎。物心付いた頃は毎日が楽しくて仕方なかったしこの世の全員が自分と同じ気持ちだと信じて疑わなかったが、どうやら違うらしい事は4歳になる頃に理解した。両親が離婚したのだ。原因はわからない。だが親権が父に渡された事と、その後の人生で一度も母の方から連絡を取って事なかった事で何となく推理できた。

父と二人暮らしになって暫くして、借金取りが自宅に来るようになった。どうやら母が私以外に残したもう一つの置き土産らしい。最初は気丈に対応していた父だったが、張り紙やFAXの嫌がらせが続くうちに病んでしまい、自宅から一歩も出なくなった。定期的に叩かれるドア。間断なく鳴らされるチャイム。父と二人、薄暗い部屋で押し黙って一冬過ごした。

一度、夜中に目が覚めた時。父が正座して泣いているのを見た。それで、小さかった牧子は全部が終わったような気がした。きっと、この先ずっとずっと経っても。あるいは、もしかしたら自分が大人になったあとも、このどうしようもない生活は続くのだろう。あの明るくて優しかった父がこうなるのだから、もうだめなのだ。自分の身の不憫にも泣けたが、それよりも父の事が可哀想になってしまい、牧子は大泣きして父に抱きついた。父は最初驚いたようだったが、やがて涙を拭って、何かを吹っ切ったように笑みを浮かべた。牧子の頭に手を載せて、何度か撫でる。

(よし、牧子。お父さんなぁ、良いこと思いついたぜ。二人でさ、逃げちゃおうか?)

それから先の行動は迅速だった。二人して着の身着のまま。夜のうちに家を出て、遠くの公園で時間を潰したあと電車が動き出すと同時に飛び乗った。

(どこに行くの?)
(さあ。牧子はどこがいい?)
(うーん。わかんない)
(わかんないか。そうか。じゃあ、お父さんが決めるぜ?)
(いいよ?)
(よし……そうだな。北関東にしよう!)
(きたかんとう? 私行ったことない! どんな所?)
(お父さんもあんまり知らないや)
(あはは! へんなの!)

父の言う所の「きたかんとう」で電車を降りて、ホームでお弁当を食べさせて貰った。その間に、父は電話帳をめくって公衆電話から何本か電話を掛けていた。電話に向かってペコペコと頭を下げたり。あるいは握りこぶしを作って演説をぶったり。たっぷり30分ほどそうしてテレホンカードの度数が切れる頃、父はまた牧子の頭を撫でてこういった。

(牧子、住む所が決まったぜ。いまから見に行こうか?)

バスに揺られて暫くして、目的の場所で降りた。冬の北関東の寒さは4歳児には堪えたが、一張羅のジャケットを牧子の背中にかけた父はもっと寒かっただろう。二人して二の腕を抱くようにして少し走って、やがて駐車場に面した建物の入り口に経った。キラキラと煌く電飾。クリスマスみたいだ。と思った。

(牧子。この建物は好きかい? 嫌じゃないかい?)

即座に首を振って否定する。嫌どころじゃない。最高のお城に見えた。

(ここに住むの?)
(ああ。ここに住むんだよ)

父の手を引かれて建物に入ると、ゲームみたいな効果音と金属が触れ合う音がした。たくさんの大人たちが台に向い、右手で何かしらを操作している。今までの人生で一度も見たことがない、不思議な空間だった。やがて父よりすこし背が高い白髪の男がやってきて、父に何か耳打ちした。先行する形の白髪頭についていく父。その手にひかれる牧子。薄暗い通路の先に部屋があって、中に通された。ストーブの、ふんわりとした暖気がありがたかった。白髪の男が丸い椅子に座って喉を鳴らした。

(あんただよな。電話の人は)
(はい。阿久です。阿久拓郎。こっちが、娘の牧子です)
(嬢ちゃん、いくつだい?)

牧子は左手の親指だけを畳んで4を作ると、自慢げに掲げた。白髪の男が目尻を下げて微笑む。

(そうかい。賢そうな嬢ちゃんだな。えーと、阿久さんって言ったっけ。こっちも丁度人手が足りねぇし深ェ事情は聞かねェが。ちゃんとやってけンだろうな?)
(もちろんです! やっていけます! お願いします店長!)
(店長じゃねぇよ。俺はオーナー兼社長。あっこの──階段登った先の突き当りに表札張ってねェ部屋があるから。そこを使いなよ。給料は毎月15日。振り込みなんて洒落臭ぇ事は言わねぇよな?)
(もちろん。現金手渡しでお願いします!)
(アンタの所は嬢ちゃんもいるし初っ端は日払いにしてやるからよ。物要りだったらいくらか前借りもしてやるから、気張ンなよ)
(はい! ありがとうございます、社長!)

まだ『パーラースマイル』になる前の、『パチンコむつみ』という名前のお店だった。『むつみ』には阿久親子と同じような境遇の男女が他にも、二階の寮には合計4組が入居していたが、子供は牧子だけだった。同年代の友達がいない事について漠然とした寂しさを覚える事はあったが、それでも別段不満は無かった。お店にはいつだって誰かいたし、お客さんともすぐに仲良くなったからだ。

(あらマキちゃん。パチンコ打てるの?)
(うん! おじちゃんに教えて貰った!)
(そうなの……! 可愛いわねぇ。よし、じゃあおばちゃん、マキちゃんの隣で打とうかしら。いい? マキちゃん)
(いいよ! 遊ぼう!)

**********

頭を振って、ノスタルジーを追い払う。今はそんな状況ではない。なんせやるべきことは大量に残っている。輪郭だけを切り取ったように薄暗く浮かび上がる建物。蝉の声だけが響く駐車場には陽炎が立っている。奥歯を噛み締めて、そうして牧子は作業に戻ろうと再び箒を手にした。

ふと、声が聞こえた。

「オオイ、アクマちゃん──。店長戻ったよォ……。いやぁ、流石にこの歳で2ケツはキツイですよォ……」
「なにいってんのよ。まだ若いでしょう店長さん」

国道の方から左折して入ってきた自転車。買い物袋を下げた大熊店長の後ろに、思わぬ人物がしがみつくようにして乗っていた。思わず小さな声が漏れそうになった。三浦さちさんだった。ガラガラの駐車場で、律儀に駐輪スペースに自転車を停めると、大熊店長は肩で息をしながら照れたように笑っていた。

「あ! これ? この車?」
「そうです。それですよォ」
「うわ、窓割れてる……」
「はは。それねェ、アクマちゃんがァこうやってェ道具使ってねェ、ガツンって」
「ドラマじゃないそれ……。凄いわね……」

牧子は笑顔を作り、頭を下げた。

「三浦さち様。いらっしゃいませ。パーラースマイルへようこそ」
「ああ、どうも……ていうか、アンタ平常心すごいわね……。赤ん坊はどこにいるの?」

 

 

続く

 

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。