パチンコホールマニアが10年前の写真を見ながら当時を回想する

パチンコホールマニアが10年前の写真を見ながら当時を回想する

こんにちは、偏愛パチンコライターの栄華です。

このサイトは、栃木県と東京都でパチンコホール「BBステーション」を経営する株式会社大善の「採用サイト」でございます。

 

 

「あれ……海の日どこ行った?」

たいへんお恥ずかしい話なのですが、今年の「海の日」が、22日木曜日に移動していたことに連休が終わってから気付きました。「7月20日」→「第3月曜日」に変わったことにもまだ馴れてないのになんとトリッキーな……とか思ってたら、ハッピーマンデーが採用されてもう18年も経つんですねえ(自分に呆れます)。

 

海の日って、かつてはパチンコファンにとって特別な日でしたよね。

2011年の広告・宣伝規制の前は、全国のホールが『海物語』シリーズの出玉イベントを打っていました。攻略誌でも「海の日の海は甘いのか?」的な検証企画で盛り上がっていましたし、お祭りムードにワクワクしたものです。

 

私が全国のパチンコ店を訪ね歩く「ホール探訪」を本格的に始めたのは2010年。当時の写真フォルダを見てみたら、こんな写真がたくさん出てきました。

 

パチンコホールには年イチじゃなく毎週「海の日」がありました

 

なんか……懐かしいですね。たった10年前のことなのに。

ということで、今回はホール探訪フォルダの2010年の写真を見ながら、ゆるく当時の思い出話でもしてみようと思います。

 

 

 

逃した獲物は大きい

パチンコホールを観察・研究の対象として捉えることに目覚め、次々に着眼点を発見し始めたのは2000年代半ばのこと。しかし「訪ね歩いて記録する」というアクションを起こしたのは2009年の末でした。すぐに行動を起こさなかったばかりに、貴重な場面をいくつも撮り逃してしまいました。

 

 

逃したもの①:イベント

イベントって記録しといたほうがいいかも。そう感じ始めたは2007~8年ごろ。色々なホールのメール会員になっていて、毎日のようにイベント告知メールが来てました。それを見ているうちに、私の興味はイベントの信頼度よりもイベントの名称へとシフトしていったのです。

 

その決定打になったのが「スーパーチューズデー」というイベント。そもそもスーパーチューズデーとは、米大統領選挙において「党集会や予備選挙がたくさん行われる3月初旬あたりの火曜日」のこと(ザックリ)だそうですが、日本ではバラク・オバマ氏が出馬した2008年に大きな注目が集まりました。これに便乗して、福井県小浜(オバマ)市のあるパチンコ店が行った「スーパーチューズデー」というイベントが話題となり、テレビやネットのニュースでも取り上げられたんです(今でもネット検索すればポスターなど見られます)。

 

こんな面白いトピック、今の私ならすぐ現地へ飛んで行くのに。

重い腰をあげた頃にはイベント爛熟期が終焉を迎えようとしていました。

 

 

<個人的に好きなイベント名3選>

▲韓流機種がアツいから熱韓(あつかん)。「圧巻」と掛かってると同時に、見えづらいですがキャラクターのほっぺがお酒を呑んだみたいにほんのり赤くなっていて「熱燗」とも掛けてたんですね。土日(ど~に)も止まらない!笑

 

 

▲地域密着最強イベント! 常連さんを大切にする日曜日。たまらなくホッコリしますね。常連とそうでないお客をどのように差別化していたのか気になるところです

 

 

▲ちょっとエッチです。「あんじゅっかいかん」って不思議なイベントタイトルですが店名をもじったもので、快感は「会館」に掛かってたんです

 

 

逃したもの②:別積み

「パチンコ 別積み」とネット検索してみてください。たくさんの画像が出てきます。しかし記録を始めた2010年ごろは、別積みへの風当りが強い時期でした。2009年に大阪のパチンコ店で起こった凄惨な火災事故が影響していたと思います。別積みは災害時の避難路の妨げになる恐れがあるという問題点が指摘されました。

 

確かに、遊技中に火災や大きな地震が起こる→慌てて逃げようとした人々が別積みをひっくり返し玉が散乱→玉を踏んだり箱につまづいて転ぶ人が続出、なんて場面を想像すると怖いですね。

 

よく見ると玉がひとつも入ってません。このような別積みダミーを店の外に置いて、オブジェ広告的に使うホールもありました

 

また「著しく多くの遊技球等の獲得が容易であることをうかがわせる表示」のひとつとして2011年の広告宣伝規制でも好ましくない物として指摘されましたが、私の住む名古屋では2010年の段階で消えていました(よく通っていた店が一斉に別積みをやめてしまい、まだやっている店はないかと探したけれど見つけられなかった)。ただこれは地域によって差があり、たとえば隣県の三重では上げ底や装飾がない穏やかな別積みは許されているようでした。

 

 

 

出玉をアピールし、見た目にも美しく玉箱を積むには熟練が必要だそうで、昔は職人のようなスタッフが後進に技術を伝えていたそうです。上の写真の別積みも空箱を使って出玉が多く見えるようにしていますね。これを演出と見るか嘘と見るか。判断を左右するのは「時代」なのでしょう。

 

別積みの画像はネット上に残ってゆきそうなので、私は「かつて腕利きの玉積み職人だった方」にお話をうかがったり、実際に箱を積む様子を撮影させて頂くなど、別な形で記録に残したいと思っています。

 

 

 

見られなくなったもの

2010年・2011年の2年間に私が訪ね歩いたホールは約850店舗。訪問数こそ多いですが、今よりも視野が狭くてパチンコホールに内在する無数の着眼点にまだまだ気付いてませんでした。よって採取した記録は限られたものですが、現在と特に大きなギャップを感じたものを2つ挙げます。

 

 

①:交換レートを匂わせる表現

2000年代の前半までは、店内はもちろんお店の看板にも堂々と交換レートを表記するホールがありましたね。私がよく通っていたホールは遊技台全台の上部に、

 

「限りなく等価に近い高価交換」

 

と書かれたテプラ(←時代を感じますねえ)が貼ってあり、見るたびに村上龍の顔を思い浮かべてました。

 

ご存知のとおり「パチンコ店」と、特殊な景品を買い取ってくれる「買取業者(古物商)」は別会社です。だからパチンコ店にこういう表示があるのはおかしいわけで、2005年あたりから強く問題視されるようになりました。そこから増えたのが「匂わせ表現」です。例えば、「トウカ」を様々な当て字で表現するホールが現れたのです。

 

多かった表記は「闘火」。「火曜日」や「10日」に開催するイベントと兼ねてアピールするお店がよく見られました

 

私はこの現象に異様な関心を寄せていて、当て字のバリエーションを探し出しては大喜びしてました。それもやはり2011年頃に激減し、近年は見られません。

 

 

②:目押しサービス

 

2020年に「BBステーション田沼店」にて撮影

 

▲パチンコ店のサービスインフォメーション。これ自体はかなり前から存在するものですが、10年前あたりまでこんな項目がよく含まれていたのを覚えてますか?

 

スロットの目押しサービス。

地域によって差がありますが、2011年ごろにNGになった例が多かったようです。パチンコは賭博ではなく「遊技」なので、遊技者の技量で出玉を獲得しなければならないという風営法の解釈によるものだそうです。

 

そうなると気の毒なのが、目押しの苦手なお年寄りや初心者さん。目押しに失敗すると投資が嵩んでしまいますもんね。中にはこんな掲示物を貼り出すホールもありました。

 

 

 

 

10年前も今もあるもの

続いて「10年前からあったもの」を、現在と照らし合わせながら見てみます。

 

 

①自粛

昨年は新型コロナウイルス感染拡大防止を理由に、パチンコ店は自治体から営業自粛を要請されましたが、2010年にはこんな自粛がありました。

 

 

「APEC JAPAN 2010」に伴う新台入替の自粛です。この年、APEC(アジア太平洋経済協力)に加盟する国と地域が参加して日本で国際会議が行われました。期間中は警備を強化しなければならないため、通常業務にあたる警察官が手薄になってしまう。そこで、新台入替を行わないことで警察の検査をなくし、警備人員の確保に協力したのです。

 

こうした入替自粛はこの時に限ったものではなく、サミットやサッカーのFIFAワールドカップなど業界全体で協力するものの他、天皇陛下の来県など地域限定のものもあります。そんな中、APEC JAPANの自粛はずいぶん長いな~と感じた記憶があります。

 

愛知県のホール。44日間も新台入替がなかった!

 

当時、年々高騰していく機械台や、頻度が上がってゆく入替ペースを懸念する声があり、「自粛がこうした問題の打開策になるのでは」といった議論がファンの間でもあったように記憶しています。

 

 

 

①感染症予防

パチンコ店の換気機能の優秀さはコロナ禍で周知の事実となりましたが、「感染症対策」も前から進んでいた印象が私にはあります。

 

すべて2010年、2011年に撮影したもの。このほかにもまだまだありました

 

こういった掲示物や備品が増えたのは、2009年に新型インフルエンザ(H1N1)が流行した時です。「パンデミック」という言葉が広く知られ、新語・流行語大賞にもノミネートされた年でした。ニュースでは世界的感染爆発への「警戒フェーズ」が死へのカウントダウンのように連日報道され、感染症への関心や危機感は2003年のSARS流行時よりずっと高まっていました。

 

パンデミックの危機を逃れ、人々が新型インフルのことを忘れたあとも手指消毒液を常備しているホールにはけっこう遭遇しましたし、手洗い励行の掲示物もコンスタントに目にしました。今やパチンコ店は感染症の流行時でも安全に過ごせる場所のひとつという認識になり、ファンとして嬉しい限りです。

 

 

他にもいろいろあるけれど

今回は10年前のパチンコ店について、写真を見ながら色々と思い返してみました。

 

広告・宣伝規制の影響でホールが様変わりした時期だったように思います。派手な広告宣伝ができなくなる=活気を演出できなくなる、ということなのでファンとしてはちょっと寂しい気もしてしまうのですが、法令遵守や健全化が推進された証でもあり、パチンコ店は日々進化しているんだなと実感します。

 

近い将来、自由に外出できる日が再び訪れた暁には、BBステーションはじめ全国のパチンコ店を気兼ねなく訪ねたいし、ぜひ皆さんにも訪ねて頂きたいです。今、当たり前のように触れられるものが、数年後にはなくなっているかもしれない……。そんな目でホールに見ると、すべてが得がたく、愛おしく感じられるかもしれません。

 

 

 

ライター紹介:栄華

パチンコライター。全国2600ヶ所以上のパチンコ店を探訪し写真撮影を行うほか、パチンコ書籍やパチンコ玩具等の蒐集など周辺文化の探究に軸足を置いた活動を行う。パチテレ!「パチってる場合ですよ!」「パチンコロックンロールDX」レギュラー。パチンコ必勝ガイドにて「栄華の旅がたり」連載中。著著「八画文化会館VOL.7 ~I ♡ PACHINKO HALL パチンコホールが大好き!!~」が好評発売中。 偏愛パチンコバンド「テンゴ」で作詞とボーカルを担当。