パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十八話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十八話

シンと静まり返った事務所。一瞬頭の回転が追いつかなかったけど、ようやく事態を飲み込んだ僕は椅子から立ち上がり、防犯カメラの映像を映すディスプレイに近づいてマウスを操作した。11番の映像をクリックして目一杯ズームを聞かせる。テント式の庇から外れた屋外の駐車スペースに停まる黒い車。ワンボックスタイプの国産車だ。三波さんが助手席側の窓からライトを向け、車内を照らしている。斉木くんは落ち着かない様子でキョロキョロと首をめぐらしていた。

砂でも噛んだように口の中がカラカラになった。無理やりツバを飲み込んで事務所のドアから外に出る。全力疾走でフロアを駆けると、途中で「おう危ねぇぞポン」とのん気な声をかけられた。ゾエさんだ。速度を落とさずに横をすり抜けてダッシュする。

 

「ちょっとすいません、失礼します!」

 

エントランスの自動ドアから入店してきたばかりのお客さんをかわして外へ出る。カッと照りつける太陽に視界が白くなる。蒸すようなアスファルトの匂い。蝉がわんわんと鳴いている。駐車場の先、ガンメタルのワンボックス車のところで、先行した阿久さんが屈み込んでいるのが見えた。イヤフォンにノイズが走る。

 

(藤瀬、すぐに店内アナウンスを。音量を最大で)
(は……はい!)
(宇都宮ナンバー、「し」のXX-XX……)
(車種はなんでしょう!)
(ホンダの黒、ワゴンです)
(承知しました……!)

 

「阿久さん!」

 

ようやく追いついた僕の目の前で、阿久さんは軍手をした手でタクティカルペンをT字に組み替えていた。車内を照らす三波さんの横から覗き込むと、運転席後部座席のチャイルドシートに、たしかに赤ん坊がいた。エンジンはかかったまま。どうやらエアコンがつけられているらしく、気持ちよさそうに眠っていた。助手席の窓には大きくガムテープが貼られている。

 

「うわ、ホントにいるし……!」
「ポン、下がって……。三波と斉木も下がりなさい。──藤瀬、聞こえますか」

(……はい!)

「アナウンスは終わりましたか?」

(はい! もう一度やります)

 

ガラスを割るために合理化された道具を右手に握り込む阿久さん。人差し指と中指の間から、鋼鉄製の杭が飛び出した。

 

「藤瀬、リアクションはありましたか?」

(……ありません)

「了解しました。ポン、割りますよ」
「ああ……。はい。どうぞ」

 

我ながら間抜けな返事だなと思ったけども、阿久さんは真剣な顔で頷いた。弓を引くように拳を構え、躊躇なくガラスにパンチする。前歯でガリガリ君を噛むのとそっくりの音がして銀色のパイルが穴を穿つ。続けて二度。三度。ミシン目の要領でずらしながら穴をあけ、四度目にパンチが繰り出された時にはそれぞれの穴がつながって拳大の大きな穴になっていた。阿久さんはタクティカルペンを左手に持ち替え、軍手のまま右手を車内に突っ込む。そのまま助手席を解錠してドアを空けた。空調に冷やされた車内の空気が外に漏れる。涼しいな。と思った。

気づいたら、異変を感じたらしいお客さんが遠巻きに僕らを見ていた。中にはゾエさんとアゲハさんもいる。ゾエさんはちょっと怒ってるような顔をしてたし、アゲハさんは心配そうに胸の前で合掌してた。

阿久さんは次に上半身を車内に入れて手を伸ばし内側から後部座席の鍵を開けた。三波さんが後部座席に回り込んでドアを開き、一度車内に入ってなにか作業をする。やがて彼女がもう一度姿を現した時、その胸にはキョトンした顔の赤ん坊が抱きかかえられていた。

瞬間、遠巻きに見ていたお客さんから歓声があがった。

************

「いやァ……しかしコレ。どうしましょう……」
「どうもこうもないなァ……」
「ポンさん、コレって良い方はヒドイよ!」
「でも名前分からないし……」
「あばー……。えっプ。えっプ」
「あ、やばい。なんかえっプえっプ言ってるけどコレなに……!」
「ゲップですよ。はいトントン。トントン」
「えっプ」
「ホントォに慣れてるなァフジコちゃァん……」
「年が離れた弟が二人いますからねェ……。はいヨチヨチ」
「えっプ」

 

一時間後。事務所にて。緊急出勤してきた大熊店長を中心に僕と阿久さん。そして藤瀬さんで対策を協議していた。この場にアルバイトの藤瀬さんがいるのは意外にも彼女が赤ちゃんの世話に慣れてるからだ。

 

「しかし、警察はホントにあてになりませんねェ……」

 

パトカーに乗ったおまわりさんがやって来たのは通報をした10分後の事だった。対応に出たのは僕だったけども、しどろもどろになりつつ状況を説明すると「親を待つしかないですねぇ」との事で赤ちゃんを引き取ってくれることはなかった。しかも今回はエアコンが付いてたという事で、いわゆる緊急避難が適応されるかどうかも微妙な所らしく、むしろちょっと叱られてしまった。

 

「ンーしょうがないよねェあれは……。でもねぇ、きみたちは正しい対応をしたと思うよォ。アクマちゃんも。ポンくんもサァ」

 

本社に電話して報告を終えた店長はうんうんと頷き、それから防犯カメラの映像を巻き戻してチェックしはじめた。結果、赤ん坊をおいてワンボックスカーから降りたのは若い女性であり、しかも向かった先は店内ではなく駐車場に停めた別の車の助手席で、さらにその車は女性が乗り込むやすぐにどこかへと走り去ってしまったのが分かった。控えめに言って最悪だった。

 

「これ、降りたのはやっぱ母親ですよねぇ」

 

僕の言葉に、店長が答え、そして藤瀬さんがギャル風メイクの奥の表情を険しくしながら乗っかってきた。般若みたいに見えた。

 

「そうだろうネェ……。不倫かなァ……」
「不倫に決まってるっしょ! 信じらんないですよね。こんな可愛い子を社内放置して……!」
「うちのお客さんじゃァないとなると、もう親がァ戻ってくるまでェ待つしかないぞォ……」
「でも店長。コレちっちゃい子だし、親もそんなに長い時間は離れないと思うんですよね……すぐ帰ってきそうですけど……」
「ポンさんコレって言い方ヒドイですってば」
「だって名前分からないしさあ……。なんか適当につけちゃう?」
「エッエッエッ」
「うわ、なんかエッエッて言い始めた。何コレ……」
「笑ってるんですよ……。どうしたのかな? ポンさんの顔が面白かったのかな? コノコノ」
「エッエッエッ」
「トホホ……。僕生き物苦手なんだよなぁ……」

パンパンと、事務所が手のひらでノックされた。

「ッス。差し入れもらいましたッス」

 

吉田くんが片手に大きなビニール袋を持って入室してきた。事務机の上で確認すると、新生児用のおむつと粉ミルク。そして鳴り物系のおもちゃがいくつか。どうやらゾエさんが家から持ってきてくれたらしい。

 

「へぇ! ゾエさんお孫さんいたんだ……!」
「ポンさん決めつけは良くないよ? 息子か娘かもしれないっしょ」
「明るい所でみたら結構お爺ちゃんだよゾエさん……。息子とか娘って年齢でもなさそうだけどなぁ……」
「コリャァなんかァ悪いなァ。エゾエさんはまだお店にいるゥ?」
「はい。ジャグラー打ってるッス」
「店長、ちょっと挨拶してくるよォ……」
「はい。いってらっしゃい!」

続いて阿久さんが立ち上がった。

「わたしもそろそろフロアに戻ります……。赤ちゃんのことは藤瀬に任せて、ポンは月報を仕上げてください」
「ぐは、月報か……。忘れてた……。やばい締め切りがコレ……あーもう駄目だ。間に合わないよもう」

 

ゾエさんが持ってきた袋には抱っこ用の補助用品みたいなのも入ってた。赤ちゃんなんか完全に無関係の生活を送っていた僕はそれの名前すら分からなかったけど、藤瀬さんは「抱っこ紐うれしい!」といいながら慣れた感じでなんか装着して赤ちゃんと向かい合わせで一体化したみたいになりつつ、ガラガラを振ったりほっぺをつついたりいないいないばあをしたりとゴリゴリにあやし始めた。スゴイ慣れてる。なんか普段は付けまつ毛アンドエクステがギャル風に見えてたけど、こうやって見るとなかなかヤンママ感があった。

ンー。まあとりあえず、今は待つしか無いか……。一度軽く咳をして、それからパソコンに向き直った。

 

(菅原です。とりあえずデスクワークにハマるので、みなさんフロアよろしくお願いします。藤瀬さんが赤ちゃんの世話で暫く事務所にツメるので、悪いけど吉田くん、休憩ずらしていい?)
(了解ッス)
(ポン、ちょっと待って。私がカバーするので大丈夫です。吉田は先に休憩に入ってください)
(え、大丈夫ですか阿久さん。今日休憩とって無くないです?)
(私は大丈夫。適宜水分を補給してますので)
(水分って……。ンー。まあいいや。そしたら吉田くん先に休憩どうぞ)
(了解ッス!)
(吉田、しっかり休んでください)
(え。どうしたんですか阿久さん。何か怖いッスよ?)
(……いえ)

 

パーラースマイルの「最も長い一日」が始まったばかりであることを、この時はまだ誰も知らなかった。いや、もしかしたらただ一人阿久さんだけは、何かを感じていたのかもしれない。

 

 

 

続く

 

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。