パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第一話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第一話

就活なんて楽勝さ──!

 

 そう思っていた時期がぼくにもありました。なんせ新卒は一生に一回きりのカードなのだから慎重に切ってナンボだろう──。早期内定を貰って喜ぶ友達を尻目に、なぜかちょっとだけ上から目線でドンと構えていたのだけど、やれやれそろそろ本気で取り組んでみようかな……という段になって、自分が致命的なレベルで面接を苦手とするという嫌な大発見があった。

 

「きみはうちの会社で、何をやろうと思いますか?」

 

 その言葉を聞く度に、なんだか目がシパシパするのだ。なんだろうぼくのやりたいことって。考えているうちに、自分の胸の中がまるで空っぽである事を思い知って沈黙してしまう。返答に窮するとはこの事だ。いっそ「特にありません」と答えることができたらどんなにスッキリするだろうと思うのだけど、あうあう言いながらひねりだす答えは毎回ポンコツそのまんまで、面接官の苦笑と共に、ぼくの心にまた新しいトラウマを作るだけだった。

 そんな調子で一社に落ち、二社に落ち。落としに落として気付いたら、もう北関東の地には雪も積もらんとする時期になっていた。取り組むのが遅すぎるんだよ、というのはゼミの教授の言葉だ。仰る通り。さすが先生、正鵠を射ておられます。椅子の上に正座せんばかりの勢いで頭を垂れた。でもね先生。ぼくは面接が苦手なのです。特にあの質問が。正直に告白すると、呻るような低い声が聞こえてきた。

 

「ときに、菅原くんねぇ」

 

 教授が仁丹を口に含みながら言った。ぼくが大学に入ったばかりの頃、彼は研究室でしょっちゅうアイコスを吸ってたのだけど、いつからかいよいよ加熱式タバコも禁止になってしまったらしい。それ以来、教授はこうやって仁丹をひっきりなしに食べている。彼が一日に食べる仁丹の量たるや、バケツ一杯は下らないのではないだろうか。

 

「実際さぁ、きみはやりたいことって何かあんの?」

 

 特に無いけど強いて言えば就職先を決めたい。そして働いてお金を稼いでちゃんとした社会人になりたい。そう返答すると、教授はマンハッタンを舞台にした海外映画のボスがよくやるのと同じ形で、両手のひらを上にして広げながら、深くため息をついて首を振った。

 

「すごい。それ外人さんみたいな仕草ですね。かっこいい」

「そうかい? ありがとう。私の心象風景を表現するのに咄嗟に出たポーズだけど、そう言ってくれるなら今後は意識して使うことにするよ。……でもねェ菅原くん。もうゼミで就職先決まってないのきみだけだぜ。何を選り好みしてるのさ」

「選り好みは──……してませんけど」

「してるように思うけどね──。なあ、これは人生のセンパイからの助言だと思って聞いて欲しい。いいかい。やりたいことがない人間なんか、きっと一人もいないんだぜ。やりたいことがないって事ァつまり、好きなことがない人間なのさ」

 

 ちょっとムッとした。やりたい事は好きなこと。ぼくだってそういう意味ならやりたいことは沢山あるさ。一日中引きこもって本を読んで過ごしたり。好きな映画をひたすら観たり。美味しいプリンも好きだしメロンパンも好きだ。チョコ味全般もね。

 

「ありますよ。ぼくだって。好きなことくらい」

「じゃあ、それを列挙してごらんよ」

「ゲームも好きだし、本や映画も好きです。甘いものも好きだし──。あとは……」

「──あとは?」

 

 がらんどうの胸の中。深く手を差し込む。まただ。お得意のあれが出た。何もない。沈黙する。目を伏せる。なんだか恥ずかしくなってきた。

 

「いいかい少年。なんでもいいんだよ。楽しかった事。面白かった事。なにもない人間なんていないよ。デカルトも言ってるだろう。コギト・エルゴ・スム。──我思う故に我ありってね。きみを形作るのはきみという人間が歩んできた足跡。記憶なのさ。風が気持ちいいなァとか。夕日がキレイだなァとか。小さな感動や体験がきみという中にはぎっしり詰まってるんだぜ」

 

 さらに深く差し込む。瞠目。温かい何かに触れた。最初それが何か分からなかったけど、不意にメリーゴーランドの音が聞こえた気がした。ギラギラと輝くランプ。回る。なんだろう。回転木馬じゃない。縦に回っている。父親が笑う。図柄が揃う。チョコレートの味だ。なんだろう。この記憶。これは──。

 

「パチスロ……?」

 

 教授が深く息を吸った。どうだと言わんばかりの姿勢で胸を反らして革張りの背もたれにより掛かる。キン──と、タブレットケースを弾く音。仁丹を口に放り込みながら彼は続けた。

 

「ほら、あるじゃないか。もっとも、きみがパチスロを打つ人だという事は少々意外だったけれど」

「いえ、ぼくは打ちませんけども……。なんでだろう──」

「……きみの周りで誰か打つ人が?」

「父親が──ああ……そうだ。小さい頃に父親と行ったんだ──……」

 

 トラックドライバーだった父は日本全国を文字通り駆け回っていてあまり家に居なかった。なので実際の所、一緒に遊んだ経験はほとんどない。しかも彼はぼくが6歳の頃に高速道路上の事故に巻き込まれて早々に他界してしまったので、思い出どころか顔もあやふやだ。週に一度。あるいは隔週。たまに帰ってきては家で寝ているおじさん。そんな印象しか残っていないのだけど、たしかに僕は、その父と何度かぱちんこ屋さんに行って、そこで彼の膝の上に座り、一緒に遊んだことがあった。目を閉じる。思い出す。チョコレート。そうだ。父は必ず帰りにチョコレートをくれた。乱ぐい歯だったぼくはその頃八重歯の矯正をしてたので、器具の劣化を防ぐ為に母親から食事を厳しく管理されていた。なんせ僕は11歳ごろまで甘いものを食べた経験がほとんどない。

 

「父親が──もう死んじゃったんですけど、当時パチスロを打っていて。僕も一緒に行ってたんです。膝の上で、ぼくはそれを眺めて。……当たったらね。かならずチョコレートを買ってくれるんですよ。当時ぼくは甘いものに飢えていて。だから当たれ、当たれって。わくわくしながらずっとランプを見てて──」

「……ランプ?」

「はい。父はその台が好きで。指さして教えてくれたことがあるんです。ここが光ったら当たりだよって。光ったら本当に当たるんですよ。キラキラ光る図柄が揃って、そしたらメリーゴーランドみたいなファンファーレ。ピエロもいて──……」

「ああ、北電子の『ジャグラー』だな。お父さんが亡くなったのは何年?」

「──1997年です」

「ならば初代だね。1996年の台だよ。なるほど……。じゃあそれは、本当に亡くなる直前の記憶なんだねェ」

 

 お母さんには内緒だぞ。そう言いながらこっそり板チョコが差し出される。受け取ろうとすると父はお道化た調子でチョコを高く掲げる。やっぱりあげない。笑いながら、父の体をよじ登るようにして受け取った。トラックの助手席。板チョコを半分にして二人で食べる。甘かった。楽しかった。お父さん──……。

 

 研究室の中で、僕は思わず無言になった。しばらくその様子を眺めていた教授が、不意に気付いたように立ち上がった。小さく伸びを作る。それから……。

 

──よし。それじゃあ、君にぴったりの就職先を探そうじゃないか。

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。