パチンコ「東京駅」と佐野駅周辺のホール50年 <前編>

パチンコ「東京駅」と佐野駅周辺のホール50年 <前編>

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。

このサイトは、栃木県と東京都でパチンコホール「BBステーション」を経営する株式会社大善の「採用サイト」でございます。

 

前回は栃木県の「田沼店」をパチンコホールマニアの視点で案内する、というわたし史上もっとも企業案件らしい内容でしたが、概ね好評でホッとしております。

 

今回は、栃木県内のチェーン2店舗のうちのもう一軒、「佐野店」にお邪魔しました。……が、前回のようなお店紹介をするわけではございません。

 

 

まずは、このツイートをご覧ください。

 

BBステーションのイメージキャラクター「Bさん」の調教師である「なめこ77さん」が私のTwitterアカウントに送って下さったリプライです。投稿日は2018年3月。まさかこうして大善さんからお仕事を頂くことになるとは夢にも思わなかった頃です。

 

貼って下さった写真を見てみましょう。

 

PCのモニターを撮影なさったもののようで若干モヤッとしてますがご了承を。奥に駅舎のようなものが見え、手前に「東京駅」という看板のついた建物が見えますね。この「東京駅」こそ、BBステーションの創業店舗なのです。オープンは1970年。

 

「なるほど。東京で創業したのね」

そう思って下さったあなたは良き読者様です。

 

ね、東京だと思いますよね?

ところが違うんですよ!(したり顔)

 

「東京駅」なのに栃木県なんです。そして奥の駅舎は「佐野駅」なんです。つまりBBステーションのルーツは佐野にあるんです。じゃあBBステーション佐野店が創業店舗なの? と問われたら、それもまた違うんですね~。

 

どう違うのか。

「東京駅」とはどんなホールだったのか。

今回は、それらを詳らかにしながら、1970年から今日までの「佐野駅周辺のパチンコホール50年」を前後編で手繰り寄せてみたいと思います。

 

 

佐野店にて

まずはBBステーション佐野店へ。

 

なめこ77さんから先ほどのリプライを頂いて以来、「東京駅」について詳しく調べたいと思い続けていたので「夢が叶った!」とウキウキ気分です。こんな恵まれた環境でホール取材をできることって、めったにないですからね。

 

例えば、ネット上で古くて香ばしいパチンコ店の写真を見つけた時、「撮影時期」「撮影場所」「経営者」「営業期間」などは自力で調べなきゃいけません。そして、全てが判明することは稀です。建物や経営母体の会社が無くなっていることも多いので、現地へ行って近隣の方に聞き込みをしたり、地元の図書館へ行って資料を探したりしますが、なかなか核心には迫れません。

 

それが、「東京駅」の場合は経営会社が現存していて、どーぞ取材に来てくださいとウェルカム状態なわけです(しかも仕事で!)。これを夢と言わずなんと言いましょう。

 

ということで、座談会「パチンコ東京駅を語る」がスタート!

メンバーは、写真右側から反時計まわりに、

  • 久保田専務
  • 勤続30年のベテランスタッフ金子さん
  • 田沼店の池辺店長代理
  • 植田常務
  • わたし

※この写真には映ってませんが、小高課長a.k.a.なめこ77さんもいらっしゃいました。

 

開口一番「とにかく昔の話が聞きたい」とグイグイ詰め寄る私でしたが、現在大善さんにお勤めの社員・スタッフの中に「東京駅」を知っている人はほんの一握り。正直言って「昔のことより今を取材して欲しいのに~」というお気持ちだったことでしょう。しかしそこは自由で寛容な社風の大善さん。この日のために当時を知るお二人(久保田専務&金子さん)を召喚して下さったのです。そしてさらに、目玉として準備して下さったのがこちらの写真。

 

ベテランスタッフの金子さんがご自身のカメラで撮影したという「東京駅」です!

撮ったまま放置してあったというフィルムを、取材に間に合うよう現像に出しておいて下さいました。

 

で、実はね。

座談会に入る前にみんなで写真屋さんへ受け取りに行ったんですよ。

 

 

その足で「東京駅」があった佐野駅前にも立ち寄りました。

 

 

写真と現地を見比べると、同じ場所とは思えないほどまったく違う風景。

それでも何か見つけられないかと穴があくほど写真を見つめていると……。

 

んっ!

右端に映っている街路灯!

 

コレと一緒ですよね!?

 

社員の皆さんにお聞きしながら、だいたい同じアングルになるよう撮影した写真がこちらです。

 

 

地図で位置関係を確認するとこんな感じです。赤マルの場所から矢印の方を見て撮影しました。

 

 

地図を見てあることに気付きました。

 

もう一度この写真をよーく見てください。

 

特にここです。見にくいんですけど、三角屋根の建物の文字が読めますか?

「てら…岡?不…動産?」

 

 

正解!

 

 

なんとまあ、今も営業されてました!

見る影もないほど変わってしまったと思いましたが、こういうモノを発見した瞬間、過去と現在がひと続きになったように感じますね。

 

つまり、「東京駅」は、てら岡不動産の西側、現在は駅前広場のタクシープールの辺りにあったことになります。

 

すごい駅チカですね。駅の一部か!ってぐらいに迫ってます。

 

この立地こそが「東京駅」の運命を翻弄する要因となるわけですが、その話には後ほど触れるとして、とりあえず座談会に戻りましょう。

 

 

座談会:写真はいつ撮られたか?

栄華:貴重な写真を見せて頂き、ありがとうございます。「東京駅」についてお聞きする前に、大善さんの歴史をおさらいしたいです。

 

植田常務(以下常務):弊社の歴史を大まかにまとめた表があるのでこれを見ながら話します。まず、創業店の「東京駅」が1970(昭和45)年にオープンしました。その後、佐野駅前の区画整理で移転したんですが、店名は変えることになって「丸和会館」になりました。

 

 

栄華:えっ。丸和会館?「東京駅」の移転に伴ってオープンしたのは、佐野店ではなくて田沼店ってことですか?

 

常務:そういうことになります。

 

栄華:丸和会館の開店が1983年。そして佐野店の前身である「ビッグワン」の開店は1991年。つまり、田沼店や佐野店と並行してしばらく「東京駅」も営業してたってことですよね。だって……。

 

小高課長(以下なめこ):そうだと思います。と言うのも、YouTubeで昔の佐野市の動画を見ていてたら、「東京駅」が写り込んでるものがあって、1991年の撮影でした。

 

栄華:もしかして、Lyle Hiroshi Saxonさんの動画ですか? 私もそれを見たんです!

 

<解説>

Lyle Hiroshi Saxonさん

1984年にアメリカから東京に移住。東京を中心に何気ない街の風景を捉えた動画を撮影。1990年~93年と、2008年以降の動画をYouTubeに3000本以上投稿しており、その中に1991年の佐野駅前を撮影したものが含まれている。 

YouTubeチャンネル:Lyle Hiroshi Saxon

 

金子さん:1991年どころか、確か2000年近くまで営業してましたよ。

 

一同:えっ!

 

なめこ:そもそも、この写真はなんで撮ったの?

 

金子さん:移転する時に記念にと思って。でも、日付がなくて何年なのかはハッキリ分からないんですよ。

 

栄華:そうなんですね! モノクロの写真だからかなり古いものだと思い込んでました。

 

久保田専務(以下専務):何年まで営業してたかなあ。ちょっと待ってね。俺も移転の時の写真持ってたような気がする。(と、探しに行って下さる)

 

栄華:写真を取りに行って頂いてる間に、最大の謎をお尋ねします。なぜ、佐野駅前なのに「東京駅」なんですか?

 

常務:その質問は来ると思って、会長(創業者。現社長の父上)に聞いておきました。

 

栄華:わ、ありがとうございます!

 

常務:パチンコ店を開業することになって、「人が一番集まるとこってどこだろう?」と考えて名付けたそうです。それだけのシンプルな理由ですね。とにかく人にたくさん集まって欲しいと。

 

栄華:賑わって繫盛するようにと願いが込められていたんですね。

 

常務:結果、狙い通り賑わったわけですが、同時に「なんで東京駅なんだよ!」っていうツッコミも多かったそうです。面白がって名前を覚えて頂けたという副産物もあったと話してました。

 

栄華:インパクトありますもんね。

 

専務:……あったあった。写真残ってたよ! これ!

 

一同:わあああ!!

 

 

久保田専務がカラー写真を発掘して下さり、私のみならず社員の皆さんも大興奮です。

貴重な写真を1枚ずつ見てゆきましょう。

 

①:看板は派手めながら、これを外すと元は何のお店だったのか分からなくなりそうなほど建物自体はシンプル。金子さんの写真と同じトラックが写っているので、同日に撮影されたようです。建物正面は西を向いています。

 

 

 

②:建物の裏側(東側) …と思いきや、「北側」の出入口です。建物がL字型になってたんですね。2階が「チロル」という喫茶店だったので山荘風のデザインになっています。

 

 

 

③:①の建物の2階から東側を撮影。「てら岡不動産」がハッキリ写っています。左奥で建設中の建物は「佐野合同タクシー本社」。現在も営業しており、先ほどのグーグルマップでも確認できます。

 

 

 

これは北側を金子さんが撮影した写真。山荘風の北出入口の西隣に「佐野合同自動車株式会社(佐野合同タクシー)」の看板が。この場所も区画整理で移転が必要だったため、新社屋を建築していたんですね。

 

 

 

④:設置台の取り外し作業中の店内。やや狭い通路の幅や一脚の回転椅子が懐かしい。1990年代半ばあたりまで使われていたSANKYOの台枠が見えますが、この写真だと機種までは判別できません。

 

 

 

⑤:盤面がハッキリ写り込んでいる写真がありました。右側がマルホンの『ファインプレー』(1994年発売)。左側が奥村の『マジカルランプ』(1995年発売)です。

 

 

 

栄華:この写真で、少なくとも1995年には営業していたことがわかりましたね。ただ、どちらも息の長かった名機なので、例えばの話、2000年過ぎて設置されていたとしてもおかしくはないですよね。

 

一同:でもこの機種構成から見ると、1990年代に閉店していたのでは…?

 

 

解明します!

すでに閉業したパチンコ店が「いつまで営業していたか」を正確に知るのは意外と難しいのです。お店の方に直接尋ねても、閉業してから長い年月を経ている場合、先ほどの座談会のように社員さん、経営者さん達の記憶も曖昧になってしまってます。

 

でも今回は「ホールに聞いてもわかりませんでした」で終わらせたくない!

 

そこで、「佐野市の区画整理事業」や「過去のパチンコホール名簿」などを参照して閉業年を特定してみることにしました。

 

まず、結論から言いますと、東京駅の閉業年(写真が撮影された年)は 1998年 だと考えられます。

 

そう判断した根拠を書きますね。

 

 

根拠1:全国遊技場名鑑のデータ

「全国遊技場名鑑」(「遊技産業協会」が1968年から発行しているパチンコホールのデータベース)によると、1997年版に記載がありました⇒この名簿を1998、1999…と順に見てゆけば即解決なんですが、残念ながら私には閲覧できる環境がなく……。

「全国遊技場名鑑 1997年版 東日本編」より。パチンコ162台、スロット30台、計192台の小さなホールでした。

 

 

根拠2:駅前広場の着工時期

「東京駅」の閉店は、佐野駅に駅前広場を新設する工事に伴うものだと考えられます。佐野市役所に着工年を問い合わせたところ、

 

「当時を知る担当者がおらず、資料も乏しいので着工年は分かりかねますが、1999年(平11)には駅前広場の引き渡しを完了した旨の記録がありました」(都市建設部都市整備課)

 

という回答が得られました。

 

 

根拠3:国土地理院のデータ

国土交通省、国土地理院のデータベースで1999年6月9日の佐野市の空中地図を閲覧したところ、既に駅前広場のロータリーの形見て取ることができました。

 

<結論>

「1997年の名簿に載っていて、1999年6月には無くなっていた」わけですから、工事期間も考えると1998年閉業の可能性が高いのではないでしょうか。

 

 

まとめと次回予告

今回は、大善さんの全面協力のもと、パチンコ「東京駅」について探ってみました。営業期間を調べるために色々な情報を集めていたら、1回では紹介しきれないほどの面白い資料を手に入れることができたので、次回は佐野駅周辺のパチンコホールと年代別の立地の変化、また「東京駅」が登場するマンガ作品の紹介など、さらに深堀りしてゆきたいと思います。

 

お楽しみに~!

 

後編はこちら

 

 

 

<おまけ>

パチンコ東京駅が動画で見られる!

座談会で紹介したLyle  Hiroshi  Saxonさんの動画です。

●1991 栃木県佐野市 散策散歩

 

0:44、16:02、16:22~27、16:33に「東京駅」が映ります。佐野駅周辺の商店街の日常が、自分の故郷の情景であるかのようにフラッシュバックしてくる映像です。

 

  

ライター紹介:栄華

パチンコライター。全国2500ヶ所以上のパチンコ店を探訪し写真撮影を行うほか、パチンコ書籍やパチンコ玩具等の蒐集など周辺文化の探究に軸足を置いた活動を行う。パチテレ!「パチってる場合ですよ!」「パチンコロックンロールDX」レギュラー。パチンコ必勝ガイドにて「栄華の旅がたり」連載中。著著「八画文化会館VOL.7 ~I ♡ PACHINKO HALL パチンコホールが大好き!!~」が好評発売中。 偏愛パチンコバンド「テンゴ」で作詞とボーカルを担当。