パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第四話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第四話

「みんな知っての通りィ、先週からリーダーのケイ子ちゃんが産休に入ってまァす。それと今週は沢田くんが法事で九州の実家に帰ってるからァ、人員がねェ、正直薄いでェす。ちょっとキツイけどォ……マァ、C番には少し早めに出てくれるようにわたしの方から頼んでますからァ。それまでみんなで頑張ってね、うん。事故やご指摘のないようにィ。いつものように、スマイル営業でいきましょう。はいィ! じゃあ今日も唱和いこうかァ。……パーラースマイル! 接客11大用語! いらっしゃいませ!」

 

 7月のある午前。いつものように事務所内に大熊店長の声が響いた。本日のB番──朝11時から夕方8時までのシフトは、ぼくとアルバイトスタッフの藤瀬さん。それと吉田くんだった。14時出勤のC番が来るまでこのメンツと、それから既にホールに出ているA番のメンバーでお店を回さないといけない。これは同規模のホールとしては「とてもじゃないけど人手が足りてない」状況らしい……のだけど、平日でお客さんの数はきっと少ないだろうし、藤瀬さんも吉田くんもホールでのキャリアが長いスタッフなので、事務所内にはどことなくのん気な雰囲気が漂っていた。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 店長の言葉に続いて全員で同じ言葉を唱和しお辞儀をする。恒例の儀式だ。この一ヶ月でだいぶ分かってきたけど、この大熊という40代前半の店長はちょっと不思議な人だった。この場合の「不思議」というのは決して悪い意味じゃない。いや良い意味での不思議というのも上手く説明できないけども、要するに、普段なんの仕事をしてるか全然わからないのだ。事務所に籠もってディスプレイの前で耳かきをしたり、ホールに出て常連さんの肩を揉んだりしてるのは何度か目撃したことはあるけども、いわゆる「店長」っぽい所というのを見たことがまだ一度もない。強いて言えばこの毎朝の「唱和」の時だけはちょっと店長っぽいし、本人もそれを意識してやってる感じがする。

 いらっしゃいませ。しょうしょうおまちください。おまたせいたしました。おそれいります。かしこまりました。しつれいいたします。もうしわけございません。ごゆっくりどうぞ。ありがとうございます。またおこしくださいませ──。

 いわゆる接客10大用語というのはどのサービス業でも共通らしい。実際ぼくが大学時代にアルバイトをしていたイタリア料理店でも似たようなのがあったし、唱和もしていた。ただこちらのパーラースマイルではそれにプラスして、ちょっと特殊な挨拶がひとつある。なので接客11大用語らしい。それがこれだ。

 

「おめでとうございます、お客様!」

 

 店長の言葉に続いて全員で唱和し、ゆっくりとお辞儀をする。毎朝の唱和が何の役に立つのだろうと最初の数日は疑問に思ったりもしたのだけど、よくよく考えてみれば確かに、ぼくが「やらかした」あの日もアクマさんからこの言葉を実際にかけられたし、そしてあの時ぼくは、そう言われて本当に嬉しかったのだ。それに思い至ってからは、この唱和を行うのにも張り合いが出たし、なにより朝からみんなで声を出すのは一体感が合って悪くない。

 

「はい以上ォ! 業務開始ィ! わたしこれからメーカーさんの対応するから、とりあえず宜しくゥ……」

 

 店長はひと仕事を終えた表情で満足そうにデスクに戻りマウスを握った。ぼくは自分用のインカムのバッテリ残量を確認して、それを制服の内側のポケットに入れ、コードを襟元のほうに通して耳に装着する。こいつも最初は上手く出来なかったけども、この一ヶ月でずいぶん慣れたものだった。

 

「ポンさん!」

 

 肩を叩かれる。振り向くと、ギャル風のメイクの女性──藤瀬さんがいた。

 

「ポンさんて……。やめてくださいよその呼び方……」
「いいじゃないですか。みんな呼んでるんだし。ねぇ、それよりポンさん、社員って今日給料日ですよね」
「あー……。うん。今日ですけども……」
「飲みに行きましょうよ! ポンさんのオゴりで! 歓迎会!」
「なんでぼくの歓迎会をぼくがオゴるんですか……」

 

 藤瀬さと美。通称フジ子ちゃん。ギャルメイクが苦手なので最初は近づき難かったのだけれど、あははと笑いながら口元をおさえるその手にネイルその他が一切施されていないことからも分かるように、ルールは意外と守るタイプの人だった。当然髪の毛も黒いし後ろにまとめてある。年齢不詳だけど、おそらくぼくより2つか3つほど上だと思う。

 

「なに? 飲み行くんスカ? え、いいな。自分も行きてぇッス!」

 

 歓迎会、という言葉を聞きつけたらしく、インカムを装着し終えた男が会話に入ってきた。吉田克彦。バイト仲間からはカッちゃんと呼ばれている。イガグリ頭で幼く見える通り、今年21歳の大学3年生らしい。学業優先でシフトに入れる日が少ない為なかなかぼくとは一緒にならないけども、人懐っこい性格なのですぐに仲良くなった。

 

「ポンさん、気をつけた方がいッスよ。フジ子ちゃんはドブですから」
「……ドブ?」
「はい。もういっくら飲んでも全然酔わないッス」
「吉田くん、それザルだよ。ザル……」

 

悪口か! と言いながら藤瀬さんが吉田くんの頭を叩く。ペチンといい音がした。大熊店長が口の端を上げて笑っているのが見えた。三人で揃ってバックヤードを抜け、ホールに出る。キンキン。ズーン。キュインキュイン。ドドド。薄く聞こえていた色んな音が、際立つように大きくなった。

 

「ポンさん、仕事慣れたッスか?」
「うん。ぱちんこ遊技機コーナーは慣れてきた。玉の交換でちょっと筋肉付いてきたね」
「はは。最初そうなるッスよね。……パチスロはまだ駄目っすか」
「回胴式遊技機? まだだねぇ。入ったことないナァ」
「そっすカァ……」
「どしたの?」
「いや今日、実は人手が足りなくて、誰かパチスロの方に一人行かないと行けないンスよ。で、ちょっとオイラ、アレなんで……。あのー……ポンさん行けないッスかねぇ……とか」
「ぼくが回胴式遊技機コーナーに行くの?」
「はい。ちょっとあの~。ッスねぇ……」
「え、全然わからない」
「いやぁ、アノ人……ッスねぇ……」

 

 吉田くんが顎をクイっと向けた先。回胴式遊技機コーナーにはスッと背すじを伸ばして手を前に組んだまま、笑顔でお客さんに対応する女性が居た。阿久牧子。アクマさんだ。そうか。今日は彼女はA番だったのか。

 

「アクマさん……。がどうかした?」
「いやー……オイラ、アクマパイセンが苦手なんスよ……」
「パイセン? ああ、先輩? 阿久さんが苦手なの?」
「ええ、ちょっとこないだめっちゃ怒られて……ッスねぇ……」

 

 話が見えない。どうやら吉田くんはぼくに回胴式遊技機コーナーに入ってもらいたい事だけは分かるのだけども、それを決めるのはぼくじゃない。研修のスケ管を行っているのは大熊店長だし、その大熊店長は、実はぼくに関するすべての事を阿久さんに丸投げしている。曰く「ポンくんはアクマちゃんと縁があるみたいだからヨロシクね」との事だった。まあ実はその辺が、ぼくが店長について「何やってるか良くわからない」と評する原因にもなっているのだけどそれは置いといて、問題はその阿久さんがぼくの研修スケジュールについては「まずはぱちんこを徹底的にわからせる」ということで、だいぶ先まで予定を組んでしまっている事だった。

 

「いやぁ……。ちょっとそれはぼくに言われても……」
「……ッスねぇ……」

 

(そこッ!)

 

耳元で鋭い声が破裂した。ハッとして顔をあげる。20m先。回胴式遊技機コーナーに立つ阿久さんが冷たい顔でこちらを見ていた。目が合う。

 

(ホールで無駄話をしてはいけません!)
(はい! すいません、ドウゾ)
(早く持ち場に就く──!)

 

 見ると、吉田くんが捨てられた子犬みたいな目でこっちをみていた。意を決してインカムの通話ボタンを押す。

 

(あの……阿久さん、ぼく今日、回胴式遊技機コーナーに入ってもよろしいでしょうか……? ドウゾ)
(ドウゾは要らない!)
(す、すいません、ドウゾ。あ、ドウゾじゃない。ごめんなさい)
(吉田ッ!)

 

 イガグリ頭の肩がビクッと震える。

 

(……はいッス!)
(ッスは要らない! なぜポンコツがパチスロコーナーに来たがっているんですか)
(えー……と。卒業……。そう! 卒業ッス! あ、ッスっていっちゃった。ポンさんパチンココーナーはもう、卒業しました!)

 

 ええ……、と思わず声がでた。卒業してないしてない。全然卒業してないよ! 小声で抗議するも吉田くんは一向に顧みない。インカムに向かってまくしたてる。

 

(ポンさんはもうパチンコ大丈夫です! あの……もう、オイラなんかより極めました。パチンココーナーをやるために生まれてきたようなお人なんで。教える事なんか何もないです! どうか! パチスロを教えてやって下さい……! ッス!)
(卒業……? フン……。わかりました。……ポンコツ! じゃあ早くこっちへ)

 

 小さくガッツポーズする吉田くん。少し先でインカムを聞いていた藤瀬さんが苦笑いしているのが見えた。思わず息を呑む。

 

「ちょっともう、吉田くん……! 勘弁してよ……!」
「すいません! じゃあ、そういうことで、フジ子ちゃん、行こ! 急いで……!」
「じゃあ、ポンさん、今日の夜歓迎会でー……!」

 

 キンキン。ズーン。キュインキュイン。ドドド。色んな音がマーブル色に溶け合う通路。ぱちんこ遊技機のお客さんが何事かとこっちを見ている。鼻で息を吐いて、背筋を伸ばした。わかった。責任者の阿久さんが言うのなら、行こうじゃないか。意を決して回胴式遊技機コーナーへ向かった。歩きながら一応報告。

 

(……店長、本日よりぼく、回胴式遊技機コーナーに入ります)
(あ~い。ラジャー。そうしてェ。あー、それからねぇポンくん)
(はい?)
(回胴式遊技機じゃなくて、パチスロって言っていいからね。ここは研修室じゃなくて、ホールだから──。よろしくゥ……)

 

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。