パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第三十一話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第三十一話

強烈な日差しに身を焼かれながら調べた番号を入力し、駆け足のままスマホを耳に充てる。ただいま通話が混み合っています。諦めずにもう一度。ただいま通話が混み合っています。緊急通話ならイケるかと思いディスプレイをタッチする。繋がった。

「はい。110番です。緊急ですか? 救急ですか?」
「え、あー……。どっちも? です」
「どうされました?」
「あの、わたしじゃないのですが、車内に子供を放置したかもしれない方がいて」
「……場所はどこでしょう」
「パチンコ屋さんです。パーラースマイルっていう……」
「少々お待ち下さい」

スマホのスピーカー越しに、大勢の人の声が聞こえている。どこで受けてるのか知らないけれど、きっと今しがたの地震で一気に通報があったのだろう。足を止めずに進み続ける。ゆるやかな上り坂。野焼きの匂い。汗が顎を伝って雫になった。幾らなんでも暑すぎる。

「確認しました。お子さんのお名前と、それから車のナンバーは分かりますか。あと車種、車の特徴とか……」
「……全然分からないです」
「今、通報された方は、その車の前ですか?」
「いえ、違います」
「いまは、どういった状況ですか?」
「今は……、あの、道端で転んで泣いてる女性がいて、話を聞いたら……」

一度ツバを飲み込み、呼吸を整えた。

「話を聞いたら、どうも車の中に子供を置き去りにしてしまったらしくて。その人はちょっと怪我してて動けないみたいだったんで、わたしが今、その……お店に……はぁ、はぁ、走ってます。通報、しながら……」
「なるほど……。ではこちらの方で、そのお店の所轄に連絡して警官を向かわせます。ただ……、今ちょっと緊急通報が大量に寄せられている状況で──」

盛大に舌打ちしたい気分だった。私有地のトラブル。しかも当人ではなく第三者の、それも現場以外からの通報。イタズラが疑われてしまうのも仕方がない。ただでさえ所轄の処理能力が追いついてないのだ。このおじさんもきっとテンパってるのだろう。さちは落ち着きを取り戻すため、鼻で大きく息を吸った。

「失礼ですが、その、パチンコ屋さんへの連絡はもうされましたか?」
「はい、何度か。でも、いま、電話がつながらないんですよ」
「では、並行してこちらからもお店に連絡しますので、それで一旦よろしいでしょうか」
「はい? 一旦よろしいでしょうかって、はぁ、はぁ、どういう……はぁ、どういう事?」
「もちろん、こちらから警官を向かわせますので。ただ、通常よりも時間がかかってしまうので、緊急であれば、お店の方にも連絡をと、そういう話ですので。もちろんこちらからその、えー……パーラースマイルさんに連絡をします。通報された方からもまたお願いしますと、それで一旦よろしいでしょうか」
「一旦よろしいでしょうかって何よ一体……はぁ、はぁ、あの、分かりました。とりあえずわたしも今、ダッシュでお店に向かっていますから、そちらも……はぁ、はぁ、パトロールの人を、なるべく早くお願いします……」

電話を切って、もう一度パーラースマイルの番号をリダイヤルする。ただいま電話が込み合っています。フンと息を吐いてスマホをハンドバッグに叩き込む。これはいよいよマラソンしなければならない羽目になった。

頭の中で地図を展開する。現在位置からパーラースマイルまで、およそ2キロ。いや、既に結構走ったから1.7キロくらいになってるかも知れない。このペースで走り続ける事ができれば15分もあれば到着しそうだ。

15分。耐えきれるか? 日頃の運動不足が祟って既に足が痛い。そこで気づいて走りながらまたハンドバックからスマホを取り出し耳に充てる。夫のにつながればなんとかなるかもしれない。仕事の邪魔をするのはイヤだったが、赤の他人のとはいえ子供の命には代えられはしないだろう。

ただいま、通話が混み合っています。

天を仰ぎそうになりつつ、次にデータ通信を試してみる事にした。LINEを立ち上げてメッセージを送る。

『あなた、これを見たらすぐに連絡して』

シュポン、という音がして送信が完了した。よし、いいぞ。しばらく画面を見ながら走ったが、既読はつかない。そしてその状況で、よく考えたら文字ベースのメッセージじゃなくてもデータ通話でイケる事に気づいた。通話ボタンを押してまたスマホを耳にあてる。普段より長い沈黙のあとに、呼び出し音が響いた。思わずガッツポーズをしそうになった。

「はやく、はやく、はやく」

無情にも鳴り続けるコール音。30コールほどで、エラー表示と共に呼び出しが打ち切られた。めげずにもう一度コールする。と、唐突に何の音もしなくなった。困惑しながら画面を見る。

「うそ! 電池切れ! 馬鹿じゃないの!?」

昨晩パチスロアプリで遊びながら寝落ちしたせいで充電をしていない事を思い出し、さちはその場で街路樹に頭を打ち付けたい欲求に駆られた。最悪だ。なんだこの状況。もう、これは全力で走るしか無い。そう決めて足に力を入れた。肺が破裂しそうに痛み始める。脇腹の奥の、良くわからない臓器までもが痛い。小学校の頃の持久走以来の痛みだ。滴る汗。どこもかしこもドロドロだった。化粧も落ちてるだろうし、きっと今自分の顔を見ると、いつか夫と一緒に観たリメイク版の「ドーン・オブ・ザ・デッド」に出てくるゾンビみたいな顔になってるだろう。あれは向かいの銃器店のおじさんがいろんな武器を使うので、夫の解説にも熱がこもっていた。3回くらい観たけども、結局ストーリーよりも銃のことばっかり覚えている。視界が白くなる。脱水だと思った。

その時、さちが進む進行方向に向けて、彼女を追い抜く形で一台の自転車が進んでいった。フロント部分のカゴに入りきれないのか、ハンドル部分に大きな買い物袋を下げている。一瞬、大声を上げて呼び止めようかと思った。そして状況から考えて、それがいかにも正しい事であるのに気づいて、本能的に叫んでいた。

「ちょっと、待って!」

さちが叫ぶのと、自転車が完全に停止するのはほぼ同時だった。どうやら、自転車に跨る男性は、さちが呼び止める以前に停まる事を決めていたらしい。男が片足を地面につけ、サドルに尻を付けたまま振り返る。傾いたハンドルから滑り落ちるように、買い物袋の持ち手が片方外れて、中身が半分露出した。

「あー、ほらァ、やっぱりそうですよねェ……!」

ゆっくりと歩調を落として立ち止まるさち。ひざに手をついて、身をかがめて息を整える。

「三浦さんでしょォ……。さちさんだ。お久しぶりですゥ……」
「あなた……、はぁ、はぁ、誰でしたっけ……」
「何回もお会いしてますよォ。店長ですよォ店長ォ。パーラースマイルのォ。大熊といいますゥ……。どうしたんですかァそんなに慌ててェ……」
「ああ……。もう……。なんなのよ……。何してるんですかこんな所で……」
「何ってェ……コレ」

大熊が買い物袋の中身をカンカンと2度指で弾いた。甲高い金属音がした。

「粉ミルクの買い出しですゥ。赤ンボのお客様は初めてなんで、備えがなくて。はは」

思わずさちはその場で座り込んだ。アスファルトが熱かった。

*********

目が覚めると、白い天井が見えた。キツい消毒液の匂い。それから、僕を覗き込むように、見知った顔が覗き込んできた。

「あ、起きましたね。菅原先輩、おはようございます」
「斉木くん……。あれ、なんだここ……。病院……?」
「はい。吉田さんと僕で運んだんですよ。お店の担架使って……」
「担架なんかあるんだウチ……。どのくらい経ったの、時間」
「さあ、30分くらいかなぁ……。気絶っていうか、ほとんど寝てましたよ先輩」
「マジで……。寝てたの僕。この状況で……。ああ、でも確かにデスクワークがたまりすぎてここの所あんまり寝てなかったなぁ……」
「はは。おつかれさまです」

窓から見える景色から推察するに、どうもパーラースマイルの斜向いにある町医者の所らしい。以前、パチスロの設定変更するときに筐体で指を挟んだ時、骨折してないかだけ見に来てもらったことがある。その時は診察室までしか行かなかったのだけども、なるほど、こんな立派な病室があったとは。

「レントゲンの結果、別に頭部に異常はないそうです。ただ、裂傷があったんで3針縫いました。ハゲが出来てますよ先輩」
「え、マジで……。やだなぁ……」

そのまま、ちょっと首を伸ばして窓の向こうに意識を注目した。パーラースマイルの駐車場は見える。が、店舗の建物はギリギリで見えない。体をよじってどうにか見ようとしたけど、届かなかった。

「気になります? お店」
「そりゃあ……。気になるさ」

しばらくすると、前にあったことがあるお爺ちゃん先生が、白衣姿で部屋に入ってきた。髭面で恰幅も良いし、メガネだ。なんかチキンをフライさせたら上手そうな気がする。上半身を起こして、ペコリと一礼した。

「いや、そのままでいいから。そのまま、そのまま」
「え、ああ、はい──」

淡々と処置の説明をするカーネル。内容は斉木くんが事前に言ったのと全く同じだった。あくまでパニックの所に過労が重なって倒れただけで、傷はあんまり関係ないらしい。

「あ、じゃあもう帰っていいですか?」
「ダメダメ。キミね。一応頭打ってるから一泊してってね」
「え、嫌だ。帰りたいです」
「嫌だっても、キミ、頭は怖いんだから」
「うわぁ、ちょっと、えー……。ねぇ斉木くん、何とか言ってよ」

ベッドサイドのパイプ椅子に座る斉木くんが苦笑した。

「何とかって言っても、いやぁ、泊まった方がいいじゃないですか?」
「いやだよぉ何かもう、わけわかんないし。お店も気になるし……」
「お店は……あー……そうですねぇ……」

斉木くんは、ちょっと首を振ってから、言いづらそうにこう答えた。

「あのー、たぶん、暫くは営業無理じゃないかなァ……」
 

 

 

 

続く

 

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。