パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第十二話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第十二話

 パチンコホールにとって、8月はお正月に次ぐ繁忙期らしい。最初はピンと来なかったけども、普通に分析するに夏休み中なので単純に大学生は沢山くるだろうし、お盆のシーズンは帰省してきたお父さん連中もみんな、やることがないからお客様としてガンガン遊びにきてくださるわけで。実際、我が『パーラースマイル』の面々も春先の頃よりちょっぴり浮足立った感じで、毎日を忙しく過ごさせて頂いていたのだった。というわけでぼくの社会人一年目の夏は、あれよあれよという間に始まったかと思いきや、ほとんど夏らしい思い出もないまま速攻で終わろうとしていた。

 

(まあ、これはこれで充実してると思うんだけどもね)

 

声を潜めて隣の席の吉田くんに言うと、彼は尻が蒸すのかやたらと腰をムズつかせながらこう応えた。

 

(だめっスよそんなんじゃポンさん。そんな枯れちゃって! 行きましょうよ!)
(いやーもうさぁ。だって場所が栃木でしょう……? ぼく埼玉に帰るの面倒くさいもん。お酒あんまり得意じゃないしさぁ)
(飲まないでもいいスから……! ね! 夏の思い出作りに! シャス! この通り!)

 

 必死に拝む吉田くん。すると反対側から声がした。藤瀬さんだ。吉田くんをドブネズミでも見るかのような目で睨んでいる。

 

(もう、うるさいよカッちゃん。シッ。ポンさんも聞かなくていいからこんなの)
(うん、聞く気全然ないよぼく。でも吉田くんがずっと言ってくるんだよね)
(そんな! 酷いっスよポンさん。自分はポンさんの素敵なサマーメモリー作りに協力しようと思って……!)
(ウソつけ! あんたポンさんのお給料狙いでしょ……!)
(失敬な! フジ子ちゃんなんてことを言うんスか! 自分は純粋に……!)

 

『パーラースマイル』のスタッフは輪番でとある研修を受ける事になっていた。この日我らが店舗から出席したメンバーはぼくと吉田くんと藤瀬さんの3人だったけども、なんだかんだ他にも系列他店のスタッフや本社の社員、さらには聞く所によると警備のアルバイトさんや掃除のおばちゃんまで全員が受ける事になっている重要な研修との事で、研修室はすし詰め状態だった。

 春先にも新入社員研修を受けたばかりの本社研修室だったけども、早くもなんだか懐かしい感じがした。普段は制服姿でお客様を迎える接客のプロたちがスーツ姿のしかつめらしい顔で外部講師の話をノートに取っている様子は、なんだか非日常な感じがして面白い。吉田くんのスーツもびっくりするくらい似合ってないし、ギャルメイクの藤瀬さんがスーツを着るとキャバクラ嬢にしか見えないのも可笑しい。

 

 午前から午後までみっちり行われる座学の中盤だった。吉田くんがテニスサークルの女子連中と開催する予定の合コンに、ぼくを(財布役として)熱心に誘うのをいなしながらも、ノートにペンを走らせる。ナウで進行中の講義のトピックは「ギャンブル依存症と生活環境について」。そう。我が社の──というよりもこのパチンコ業界で働く人間が全て受けねばならない重要な研修とはすなわち「ギャンブル依存問題」についてのものだ。

 壇上で離しているダークグレーのスーツを着こなした長身の男性は、ぱちんこ依存問題相談機関の代表さんらしい。そういう相談機関があるのをぼくはこの講義を受けるまで知らなかったし、言われてはじめてお店のトイレにそういう文言のポスターが張ってあるのを思い出したくらいだった。

 

「メディアなどでも当たり前に使われているギャンブル依存症──より正確には『ギャンブリング・ディスオーダー(ギャンブル障害)』という言い方をしますが……これは決して病気ではありません。病気であるのなら病因があって、そしてその病因を治療することで治す事ができるはずなのですがギャンブル依存症はどうでしょう? 薬を飲んだり、手術をして治るのであればこんな簡単な話はないですが、実際はそうではありませんね。なので当然、これに対応するのもお医者さんではなく、例えば社会福祉士の方であるとか、精神保健福祉士、あるいは行政。それから家族、友人、同僚──……」

 

 全く! さっきから驚きの連続だった。研修の中で口を酸っぱくして何度も繰り返されるのが「ギャンブル依存」というのが病気ではない、という単語だった。なのでお医者さんに任せてれば治る! という類のものではないらしい。

 

(なるほどねぇ……。勉強になるなぁ……)
(コンパ、もっと勉強になるかも知れないスよ? ポンさん)

 

 吉田くんを無視して目の前に集中する。しかし、ギャンブル依存……。そもそもギャンブル依存ってどんな状態なんだろう。ちょっと想像が付かない。この数ヶ月で仲良くなった、パーラースマイルの常連さま達の顔をひとつひとつ思い返してみる。浮かんでくるのは皆さん楽しそうに遊技されている所だけだった。

 こういう時はぼく自身に置き換えてみれば良いんじゃないかと思って色々想像を巡らせてみたけども、どうも自分自身がそうなる所が想定できない。たぶんぼくはパチンコやパチスロという遊技がそもそも向いてないんだろうと思う。ホールで働いているのだからと、何度か休日に一人でアパートの近くのホールに敵情視察がてら遊びに行ったことがあるけども、どうにもコインサンドにお金を入れるのがもったいなく感じてしまうタチなのだ。もちろん、決してパチンコやパチスロが嫌いというわけではない。この頃は機種のこともかなり覚えて来たし、遊び方やシステムについてもかなり理解してきた。その上で、自ら進んで遊ぼうとはあんまり思わない。

 これはもう、単純にパチンコ・パチスロという趣味があんまり向いていない、という事なんだと思う。

 壇上の男性が、マイクに向かって続けた。

 

「というわけで、本日は精神保健福祉の観点から、『ギャンブル障害』について講義してくださる先生をお呼びしました。小坂先生です。小坂先生はソーシャルワーカーとして現場でギャンブル障害に悩むご本人やご家族のケアを行う傍ら、N大社会学部で准教授をされていて──」

 

 おもわずお尻が浮いた。椅子が大きな音を立てる。何事かと周りの目が集中するのが分かった。藤瀬さんがぼくの5倍くらいの長さのまつ毛に囲まれた目をまんまるに見開らかせながら小声で訊ねてきた。

 

(ど、どうしたんですかポンさん)
(ごめん、いや、なんかすっごい聞き覚えがある名前が──)

 

 拍手に迎えられて壇上に登る中肉中背の男性。どことなく人を食った感じの飄々とした顔立ち。スーツの襟元に首を差し込みマイクを通さず「ちょっと暑いね」と言ったあと、照れたように仁丹入りのケースを指先で弾いた。

 

「ああっ! 先生!」
「……ん。おお、やっぱり居たね菅原少年。頑張ってるかい?」

 

 思わず立ち上がったぼくに、先生──小坂秀実准教授は右手を挙げて応えた。周りがざわつく。藤瀬さんがぼくの袖を引っ張った。

 

(え、何ポンさん! 知り合いなの? 誰! イケメンじゃん! え、教授? なに! お金持ち? 紹介して!)
(いや、あの、その──……。え、どういう事?)

 

 着座すると、先生はマイクに向かって一度喉を鳴らしてから続けた。

 

「ああ、失敬。彼は大学で私のゼミを取ってた子で──。面白いんですよ。パチンコもパチスロも全然打たないのにちょっと特殊な事情でこの業界に……いやこの話はいいか……。少年、近況については今度またじっくり聞かせてもらおう。では改めまして。N大で精神保健について研究しています、小坂と申します」

 

 確かに。確かにそうだ。先生のゼミはまさしく精神保健について勉強するというものだった。父親の居ないぼくは一時期母親とあまりうまく行って居なかったのだけども、その影響でいわゆる「児童心理」に漠然とした興味を抱いていて、特にそれを仕事にしたりするつもりは一切無いまま何となく関係ありそうな気がして先生のゼミを取ったんだった。結果としてそんなに関係なかったし、まああったとしても途中で興味を失っていたと思うけども。

 約半年ぶりに聴く先生の講義をノートに取りながら、ぼくはようやくあの時、先生の口から「ジャグラー」という単語が出てきた意味を知った。

 先生は、こっち側の業界の人だった。

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。