パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第六話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第六話

 通路に立ったまま、古馬と名乗った花柄スカーフの女性にぺこりと頭を下げた。後ろでひとつに纏められた髪。あんまり主張のない薄めの化粧。お似合いだったので……というぼくの言葉にはウソはなかった。どことなく洒脱な感じのする大福のおじさんと古馬さんは、雰囲気がよく似ていたからだ。

 

「古馬さん……。はじめまして。菅原といいます。少し前にこの店に配属されました。大福のおじさん──じゃなくて、伊藤さん? とはその……初日に一緒にジャグラーを打った仲でして……いや、その前にバスで一緒になったんですけども、はい」

「はは! あの時はなんだか感動しましたね。菅原さん。私も長いこと生きてるけど、ジャグラーの目押しに成功して泣いた人は初めてみましたよ」
「ちょ、ちょっとやめてくださいよおじさん! あれはそういうんじゃなくて──……」

 

 僕らの様子を見ながら、また古馬さんが口に手をあてて笑っていた。二人が座るジャグラー。無意識にデータ表示機に目を向ける。ふたりともそんなに当たっているわけじゃないけども、強いて言えば古馬さんのほうがちょっとだけ大当たり回数が付いていた。機械の上部にはメダルを入れた箱を置くスペースがあって、今、古馬さんの台のその部分には、僅かにメダルが入れられた箱がひとつ置かれている。

 

「あ、ちょっとメダル出てますね。おめでとうございます、お客様!」

 

 ぺこりとお辞儀をすると、古馬さんが目を細めて、嬉しそうに笑った。へぇ、こういう上品なおばさんも、パチスロを打つんだなぁと、ちょっと意外に思った。

 

「はは! よし江さんはね、ちょっと前までパチンコしか打たなかったんですよね」
「そう。わたしはずっと、海専門で──」
「海……? ああ、海物語って奴ですか。あの、ビキニの。なんとかちゃん……。なんだっけ。マリン? ちゃん? ですか。あーはいはい。知ってます、知ってます。お年寄りが良く打ってますよね!」

 

 言ってから失言だったと思ったけども、大福のおじさんも古馬さんも「そうそう」と言いながら笑った。本当にこうして見ていると、夫婦みたいに見えた。

 

「でもね。新しい事にチャレンジしたくなって。スロットを打つことにしたの。だからまだ、ちっとも分かってなくって。ふふ。恥ずかしいんだけどね」
「あー、そうなんですねぇ。じゃあぼくとおんなじです。ぼくも今、パチスロ勉強中なんですよ。まあパチンコもですけども!」
「あら。そうなのねぇ。そしたら菅原くん。一緒に勉強しましょうね」
「ハイ! 喜んで! 古馬さん。へへ……!」
「よし江ちゃん、菅原さんも。私だって初心者ですよ。仲間に入れてください」
「もちろんですよおじさん。一緒にみんなで──」

 

 その時だ。古馬さんの台から異音がした。見ると、例の「光ったら当たり」のランプが輝いている。

 

「……あ! 光った。古馬さん!」
「わあ! ホントだ! 当たったわね……!」

 

 久しぶりに見たジャグラーの光はやっぱり吸い込まれそうなほどキレイに見えた。なんだか幸せな気分になる。最近はパチスロについてちょっと勉強してるし、それに実際に自分で一度打ったこともあるので、ここから先の流れも分かった。パチスロは通常メダル3枚を掛けて遊技するのだけども、いわゆる「ボーナス搭載機」の場合、ボーナスが揃えられる状態になったら1枚掛けで回して良いらしい。何にも知らなかった前回は3枚掛けでひたすら揃えようとしていたけども、2枚ずつ損してた事になる。今この状態はもう「光ったら当たり」のランプが光ってるので、つぎは1枚掛ければ良いわけだ。が、それを知っていたからといってぼくに目押しが出来るわけじゃあない。

 笑顔のまま固まって、古馬さんを見る。笑顔。次に大福のおじさんをみた。こちらも笑顔だ。おじさんが目押し出来ないのは既に知ってるけども、おそらく最近始めたばかりの古馬さんも同じだろう。もちろんぼくも出来ない。誰が揃えるんだろう。このジャグラー。

 

「ええと、目押し……その──……」

 

 言いよどんでいると、背中側のジャグラーの島に座っていたお客様が、やれやれしょうがないなぁと、独り言にしてはあまりに大きい声で言いながらのっそりと立ち上がるのが見えた。派手なアロハシャツ。ぼくには英字プリントを無意識に読んでしまうという奇妙なクセがあるのだけど、彼のシャツの胸の部分にははっきりと「ワイキキ」と書いてあるのが分かった。8割がたハゲた、赤ら顔のおじさん。そのくせ黒々とした眉毛だけ太くて、すこしクセがありそうな感じがした。

 

「よし江ちゃん、ペカったんかい? やったじゃん。調子いいねぇ! ほら、いっちょこのゾエさんが揃えてやッから──。伊藤屋、ちょっとどいてな……」
「あ、ああ。うん。すまない……」

 

 手で追い払われるようにしてどかされる大福のおじさん。空いた席に着座するや、自分で自分の事をゾエさんと呼ぶアロハのおじさんは、古馬さんの座る台に手を伸ばして素早くボーナス絵柄を揃えた。7図柄。ビッグボーナスだ。メリーゴーランドに似たファンファーレが響く。大福のおじさんは、恥ずかしそうな。情けないような。複雑な顔をしていた。どうだと言わんばかりに胸をそらし、そして拍手をしながら古馬さんの肩に手を置く。

 

「ビッグじゃんビッグ。よし江ちゃん良かったじゃァン! カッカッ!」
「ゾエさん。いつもごめんね。ありがとう──」
「なんのなんのこれしき。あ、そうだ。よし江ちゃん。今日渡すものがあんだよ」

 

 背中側。自分の台の上に手をのばし、そこに置かれていた白い箱を古馬さんに差し出す。

 

「まぁ。美味しそうなシュークリーム……」
「おう、パティスリー・エゾエの新作だぜ。よし江ちゃんシュークリーム好きだろ。食べてちょうだいよ。ほっぺた落っこちるぜェ? どこぞの古臭い和菓子なんかより絶対美味いからよ。カッカッカッ!」

 

 伊藤屋。パティスリー・エゾエ。和菓子。洋菓子……。頭の中で何かカチリとハマった気がした。この二人──。まさか……。

 

「……ラ、ライバル?」

 

* * * * *

 

 その夜の事だ。パーラースマイルからタクシーで10分ほどの所にある炉端焼き専門店「やきとん猫八」にて。ギャルメイクのアルバイトスタッフ、藤瀬さん発案の「ポンくん大歓迎会」が開催された。本気でやると思って無かったんだけども、どうやら彼女は有言実行の人らしい。参加者はぼく。そして言い出しっぺの藤瀬さん。あとは吉田くんと、なぜだか大熊店長もいた。炭火であぶられる豚肉の香り。タバコの煙。そして仕事帰りのサラリーマンたちの喧騒。悪くない雰囲気だった。

 

「……あのぉ……店長。お店放っといて大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫ゥ。いざとなったらアクマちゃんが居るし。問題なァし」
「え、残業してもらってるんですか……? 阿久さんA番ですよね……。なんか申し訳ないなァ……」
「違う違う……。そうじゃなくてェ……。まァいいじゃない。それに関しては話せば長くなるし……。はいとりあえず、カンパーァイ! フジ子ちゃんはアルコール控え目にしといてねェ……。もう担いでタクシー乗せるのは勘弁ですよォー。店長腰に爆弾抱えてるからねェ──」

 

 琥珀色の液体を喉の奥に流し込む。苦い。炭酸の味だ。よく考えたらビールを飲むのは大学2年の頃にゼミで飲み会をやった時以来だった。ぷはぁと息を吐いてジョッキを置くと、藤瀬さんが肩をぶつけてきた。アルバイトである藤瀬さんと吉田くんはぼくと店長よりも少し早くお店に到着していたため、二人で先に飲んでいたらしい。すでに顔が赤くなっていた。

 

「おお、良い飲みっぷりじゃないですかポンさん! あはは!」
「え、そう? あんまり飲んだことないんだけどねお酒……」
「あーじゃあもう、今日はわたしがお酒の美味しさを教えてあげますから。トコトン……! ねえ店長!」
「だめだよォフジ子ちゃん。あしたキミA番だからねェ……」
「固い事言わないでよォ店長……! あははは!」

 

 四人卓。向かいの席に座る吉田くんは心なしか朝礼の時より痩せていた。今朝のことを含めて、休憩の時阿久さんにこってりと絞られたらしい。力なくお酒を飲んで、そして独りで半笑いで何かしら頷いている。

 

「……大丈夫、吉田くん。阿久さんに怒られた?」
「怒られたっていうか……。いいや、いいンスよ。自分なんか死んだ方がマシな人間のカスなんで……」
「うわぁ……。見事に落ち込んでるね……」
「まあッスね……。あんだけボロカス言われたら……ふふ……自分の小ささに気付かされるというか……。ああ、ところでポンさん……どうでしたか今日。やり辛かったでしょあの悪魔みたいなオンナがいるパチスロコーナーは……」
「いや、全然。面白かったよ」
「えー……。なんか優遇されてないッスかポンさん……。ちなみに自分、なんか悪口言われてないかと思ってインカムに聞き耳たててたンスけども、今日は常連さん把握してたんすよね。どうだったスか?」
「うん。まあ、なんとなくは……」
「まぁだ初日ッスからね。あまゆっくり覚えていけばいッすよ。あの悪魔みたいなヒトが何考えてるか知りませんがねぇ。だいたい何で最初に常連さんの顔を覚えさすのか……。それよりほかにやることあるッスよねって話ッスよ。ったく……。ビール追加いいっすか? とにかく、自分もフジ子ちゃんも一応ポンさんのパイセンなんで。なんか困ったことがあったり分かんない事があったら、なんでも聞いてくださいね」
「うん。ありがとう、吉田くん。助かります」
「おう、良いってことッスよ。後輩!」

 

 藤瀬さんが「何を偉そうな事いってんのよ」と言いながら吉田くんの頭をペチペチ叩く様子を見ながら、悪くないなと思った。学生時代はそれなりに色んなバイトをしてきたけども、控えめに言ってもこのパーラースマイルはかなり居心地がいい方だった。正直、働くまでは「パチンコホールの仕事」に何となく体育会系のイメージを持っていたのだけども、少なくとも今の所、そんな感じは全然ない。何故だろう。自分なりに分析してみようと思ったけども、たった数口飲んだだけのアルコールのせいか、はたまたもとからぼくがそういうのが苦手なだけかわからないけど、答えは見つからなかった。未だにぺちぺちと頭を叩かれ続ける吉田くん。藤瀬さんだけじゃなく、いつのまにか店長もくわえタバコでぺちぺちやっている。やめて下さいッス、やめてくださいッス、という声が「やきとん猫八」に響く。

 分からない事。困ったこと。ふと、頭の中に大福のおじさんの事が浮かんだ。ジャグラーコーナーでの、古馬よし江さんを取り巻く常連さんの人間模様。勤務中気になっていたので、折角だから訊ねてみることにした。吉田くんが反応するより先に、藤瀬さんが手を叩いて笑い始めた。

 

「ああ、出た! ゾエちゃんだー。ウケる!」
「そう。ゾエちゃんさん。藤瀬さん知ってます?」
「あの人ねぇ、セクハラ王なのよ。うちの女性アルバイトスタッフ、だいたい全員お尻触られてるからね」
「うそん。駄目じゃないですかそれ。コンプラ的に」
「そこがゾエちゃんの上手い所でー、わざとじゃないよぉ、わざとじゃないけどぉ、当たっちゃったんだゾーみたいな。微妙な触り方してくるんですよ。しかも、その後律儀にお詫びの印としてケーキとか持ってくるんで、出禁にもしづらいんですよこれが。わたしなんか次触られたらブッ飛ばしてやりますけどね!」
「フジ子ちゃーん。お客様ブッ飛ばしちゃァ駄目だよォ。ここで店長が聞いてるからねェ」
「あのー……。ちょっと気になったんですが、皆さん伊藤さんって知ってます?」

 

 吉田くんが何度か頷いた。

 

「伊藤さんはああ見えて駅前の和菓子屋の大旦那ッスよ。なんか室町時代から続く名店って言ってますけども」
「室町!? うそん」
「マジッス。あそこの大福美味いッスよね。ポンさん食べました?」
「うん。何回か食べたよ。美味しいねぇあれ。ぼく大福がすごい好きでさぁ……。もうあのとろけるような餡と風味豊かな皮が極上のハーモニーを……。いや、それはいいんだけども、なんだっけ。ええと、そう……。もしかしてさ、伊藤屋さんとパティスリー・エゾエさんって、仲悪いの?」
「あー、その件ッスか。それはッスねぇ……なんていうんスかねぇ……。『恋は、遠い日の花火じゃない』みたいな感じッスかねぇ」
「何言ってんのカッちゃんキモい! ウケる!」
「キモくは無いでしょーフジ子ちゃん。なに、もう一回ッスか? 『恋は、遠い日の花火じゃない』」
「ウケる! キモい! あはは!」

 

 店長が面倒くさそうに口の箸を歪め、焼き鳥を咀嚼しながら言った。

 

「ポンくんねェ、あの二人はァ、駅前の甘味シェアを争うライバル同士なのよォ。でェ、今日一日パチスロコーナーで見てたらわかると思うけども、それと同時にひとりの女性をめぐるライバルでもあるわけェ」
「それは、古馬よし江さん? ですか」
「そォそォ。良く見てんじゃなァい。見込みあるよォ、ポンくん。あ、お姉さん、ビールもう一杯追加で……」
「店長、わたしも!」
「じゃあ二杯よろしくゥ……。で、彼らがどうかしたの、ポンくん」
「どうしたというか……。いえ……。特には……」

 

 店長がタバコに火を付ける。ゆっくりと肺の奥まで煙を吸い込んで、気だるそうに鼻から出した。吉田くんの発する言葉に、藤瀬さんはいちいちキモいキモい言いながらゲラゲラ笑っていた。また頭をぺちぺち叩かれ始める吉田くん。それを見ながら、大熊店長はちょっと笑って、それからこう続けた。

 

「良いこと教えてあげようかァ。ポンくん。ホールマンはねェ、お客さんを贔屓しちゃいけないよ。それは絶対にダ、メ、で、すゥ。平等に。平等に接する事。いいねェ? ポンくん」

 

 ビールを飲む。苦い味がした。油が焦げる匂い。タバコの煙。にんにくと、それからタレの匂い。北関東の炉端焼き屋で。ぼくは店長の言葉を咀嚼して、飲み込んで。それから少し考えたあと、社会人になって初めてのウソをついたのだった。

 

「勿論です。店長。分かっていますよ! ぼくだって」

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。