パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第十四話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第十四話

壁掛け時計の秒針がカチカチと音を立てていた。遮光カーテンの隙間から薄く午前の日差しが差し込み、部屋に舞う埃が光芒の中に浮かぶ。味のしないトーストを齧りながら、三浦さちはただ秒針の音を聴いていた。もうすぐパーラースマイルの開店時間だ。膝に落ちたパンのクズを払い立ち上がる。ハンドバッグを持って玄関に向かいながら、ふと姿見に目を向けた。やせ細った、小汚い女がそこに居た。流石にそろそろシャワーを浴びてからのほうが良いかもしれないな、とぼんやり思った。最後に浴びたのはいつだっただろう。それすら思い出せない。洗濯が面倒なので着たきりになっているワンピースはところどころほつれていて皺が目立つ。だからなんだと思った。別に構わないし、誰も気にしない。

 

三和土で靴を履いた所で、財布の中身が気になった。そう言えば昨日は開店から閉店までずっと打ち続けて大負けしたのだった。いくら負けたのか覚えていないし興味もなかったが、種銭がなければパチンコもパチスロも打てない。ハンドバッグから財布を取り出してラウンド式のファスナーを開く。小銭しかなくて思わず笑ってしまった。OL時代に個人的に貯めていた貯金はとっくに底をついていたので、最近は自分名義のクレジットカードのキャッシングを利用している。いくら借りているのか把握してないが、まだいけるだろう。

 

車のエンジンをかけ、ゆっくりとアクセルを踏み込む。県道を走り途中で裏道に逸れてから、カード会社の提携ATMがあるコンビニの駐車場に入った。自動ドアを潜ってまっすぐに目的の機械へと向かい、カードを差し込む。借入ボタンを押して金額を入力した所でエラーが表示された。どうやらもう借入の枠を使い切ってしまったらしい。舌打ちしたい気分になった。これではパチンコもパチスロも打てないじゃないか。そしたら今日は家に居なければならない。一日中だ。何もせず、ずっとソファに座って秒針の音を聴きながら、ただ夫の帰りを待つ。それはさちにとって死刑宣告と大差のないことだった。

 

カードを財布に仕舞って踵を返す。頭の中にメッシュ状のシートか何かが入り込んでいて、神経伝達の邪魔をしている気がした。考えが纏まらない。冷静になろうとしても無理だった。ただハンドルを握ってアクセルとブレーキを操作し、自宅へと戻った。扉を開け、玄関で靴を脱いで寝室へ向かう。これまでに使った貯金もカードも全て自分の名義だった。階段を登りきって左手の扉を開ける。ダブルベッド。皺だらけのシーツ。脱ぎ散らかした寝間着を踏みつけて部屋の一画に鎮座するタンスに向かい、抽斗を開けた。実家から持ってきた漆塗りの箱。土地の権利書や実印と共に、一通の銀行通帳があった。将来子どもが出来た時の為に夫と二人で貯めた子育て貯金だ。結婚前から去年まで。毎月二人で貯め続けていた、子どもの為のお金。

 

──この半分は、わたしのものだ。

 

一時間後、さちはパーラースマイルでパチスロを打っていた。ゼロ回転から天井を狙う。いわゆる全ツッパである。無表情で。リールの奥の何かを見つめながら。コインサンドにお札を入れる度に、身体から大切な何かが抜け落ちるような気がした。心の奥の方に針で突かれたような痛みが走る。それでもさちはレバーを叩く手を止めなかった。ようやく迎えた天井。大したメダルも出なかった。鼻で笑って、出た分のメダルを入れ、また現金投資を開始した。大丈夫。まだお金はたっぷりある。全部使ってもいい。こんなお金、無くなってしまえばいい。全部消えてしまえばいいのだ。全部、全部──……。

 

一万円札をコインサンドに入れようとした所で、誰かに手を掴まれた。

 

見ると、メガネの女性スタッフだった。薄いメイクの下にいつもインチキ臭い笑顔を浮かべた、大嫌いなスタッフである。名前はたしか阿久だ。

 

「……何か?」
「失礼ですが、三浦様。今日はもうお帰りになられた方がよろしいのではないですか」
「は? なんでよ。……そんなのわたしの勝手でしょ。離して」
「いえ。離しません」
「何でよ。あなたには関係無いじゃない」
「関係あります。三浦様」

 

阿久は笑顔を崩さずに黙礼してから続けた。

 

「私はホールスタッフなのです。パーラースマイルでご遊戯される全てのお客様を、幸せにするのが仕事です。……失礼ですが三浦様には、今はご遊戯していただきたくありません」
「何よそれ……バカにして……。わたしは幸せよ。パチスロを打ってると幸せなの。打ちたいから打ってるの。アンタなんかに何が分かるのよ。放っといて!」

 

無理やり一万円札をサンドに入れようとすると、その手を強く引かれた。

 

「いけません三浦様! ……わかりました。私の言うことを受け入れていただけないのであれば、仕方有りません」
「……なによ」
「誠に残念ですが、今この時をもって、三浦様を出入り禁止とさせていただきます」
「……は? アンタなに言って──」

 

阿久は首元のインカムをつまんで口に引き寄せる。

 

「業務連絡です。会員番号7022番、三浦さち様。本日14時20分をもって当店および系列店を全て出入り禁止とします。繰り返します。業務連絡です──……」
「ちょっと、やめてよ。アンタ何してんのよ。ちょっと──……!」

 

さちの腕を掴みながらインカムに業務連絡を発し続ける阿久。それににらみ合う形で立ち上がるさち。騒ぎに気づいた周りのお客たちが何事かと首を伸ばしてこちらを見ている。すぐに通路の奥から黒いベストを付けた別のスタッフが慌てて飛んで来た。

 

「えぇ……。うそでしょ。阿久さん何やってるんですか……?」
「ポンコツ。いいですか。こちらの三浦さち様は今後出入り禁止です。そういえばまだ貴方には出禁のオペレーションを教えてませんでしたね。メモを取りなさい。出禁処理の手順はまず──……」
「ちょっと。阿久さん……。えーと……。うわなにこれ。どういう事……? え、出禁ってどういう事です? 三浦さんが何かやったんですか?」
「わたしは何もやってないわよ。頭おかしいんじゃないこの女……」
「いいえ。当店での遊技の際はスタッフによりご遊戯を中止させて頂く場合がある事が店舗内掲示物にもはっきりと明記されています。今回は私の判断により三浦様のご遊戯を停止させていただいたのですが、三浦様にはその指示に従っていただけませんでした。これは出入り禁止の条件を満たすルール違反です」
「あのぉ、阿久さん、なんで三浦さんのご遊技をとめたんですか?」
「……お金を、使いすぎておられたからです」
「え? そんな理由? えー……」
「ホラ! この人も納得できてないみたいじゃない! やっぱアンタおかしいわよ。わたしは遊びたいから遊んでるだけだし。お金も持ってるのに。ほら! みてよ! みなさいよ、ほら!」

 

さちはハンドバッグから財布出すと、中から一万円札の束を取り出した。阿久と菅原が見ている前で、彼女はそれを通路の天井の方向へ、力いっぱい投げた。店内に、一万円札が紙吹雪のように舞った。

 

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。