アクリル素材のパーティションで区切られた応接室。インストゥメンタルの有線音楽が流れる中、僕と阿久さんは先方に促される形で、樫の机を前に腰掛けた。三つ揃えのスーツをバッチリ着こなした男性。受け取った名刺をちらりと見ると、そこには確かに「三浦太陽」と書いてあった。オールバックに纏めた髪には僅かに白いものが混じっている。大熊店長と同年代か、少し下くらい。30代半ば辺りに見えた。
「本日はお越しいただいてありがとうございます」
「あー、いえ。とんでもない。こちらこそ……」」
「今回ご案内を担当させて頂きます、三浦と申します」
「はい。菅原です、宜しくお願いします」
阿久さんが会釈する。
「妻の牧子です」
「妻……。フフ。妻だって……」
阿久さんの言葉に思わず笑う僕。何だかものすごくむず痒い。後頭部辺りをぽりぽりと掻きながら阿久さんの方を見ると、今までで一番冷たい目で睨まれた。喉を鳴らして真剣な顔をつくる。
「もしかしてお二人はご新婚……ですか?」
「え? えーと……そうですよね──じゃないや、そうだよね?」
「そうです。入籍したばかりで──……」
「なるほど。わたしにも経験があります。つい先日まで彼女だった女性が『妻です』と名乗るのって、なんだか最初は変な感じがしますよね」
「そう! むず痒いというか、何か笑っちゃいますよね。へへへ」
「はは……。みんな同じですよ。それもじきに慣れていきます……。では菅原さま。こちらは来社のアンケートになります。適切な商品をご案内するのに必要になりますので、黒枠の部分をご記入ください。ボールペンは此方に」
「ああ、はい。ありがとうございます。これ、僕が書いたほうがいいんですか……じゃないや、いい?」
「ええ。あなた」
「あなた、だって……へへへ」
質問を読みながらペンを走らせフォームを埋める。住所や名前は正確に記入したが、配偶者の部分に「牧子」と書くのがやっぱり変な感じがした。また、保険加入にあたっての希望部分に関する質問はあんまりよく分からなかったのでその都度阿久さんに確認する必要があったけども、三浦氏は変な顔ひとつせずに笑顔を浮かべて待っていてくれた。最初は何だか居心地が悪かったけども、考えてみると確かに奥さんが保険について興味を持っていて旦那さんは良くわからないままそれについてきてるだけというパターンもあるだろうし、僕らもそう思われてるのだろうと気づいて、ちょっと気が楽になった。
途中で一度三浦氏が飲み物を持ってきてくれた。ホットコーヒーだ。加入するつもりゼロなので少し悪い気がしたけども、喉が乾いていたのでありがたかった。豆の香りがしっかり残った液体を飲み込むと、お腹の奥がじんわりと暖かくなった。
「ご記入ありがとうございます。それでは拝見いたしますね……。ん? 菅原様、ご住所がさいたま県になっているようですがこれは……」
「そうなんですよ。今日もさいたまから来てます」
さいたまの人間が北関東のこの場所で保険の案内を受けるのもかなり奇妙な感じがしたけども、それに関しては待ってましたと言わんばかりに阿久さんが口を開いた。
「職場がこの近くなのです」
「職場……。お二人ともですか?」
「わたしも夫も一緒の職場です」
「あー、なるほど……。職場で出会われたんですね」
それに関しては嘘は無い。なので僕も積極的に頷いた。
「もうねぇ、最初は妻のことが怖くて……。凄いんですよ、ポンコツとかあだ名つけられたり……あ、彼女が先輩なんですけどもね。僕がそこにあとから赴任してきて──。へへへ。もう半年前かァ。懐かしいなぁ……痛ッ!」
阿久さんから思いっきり足を踏まれた。横目で睨まれる。調子に乗って余計なことは言うな、という事だろう。机の向こうに座ったスーツの男が、ちょっと驚いたような表情を作っていた。
「へぇ、半年……ですか」
「ええ、出会って半年です。私たち夫婦は半年前に出会って先日入籍しました」
「ひ、一目惚れだったんですよ。お互いに。ねぇ、牧子」
「……ええ」
──これ後から殴られるパターンだ。背中にじっとりとした汗が滲むのが分かった。
「職場はどちらですか?」
「向こうのトンネルの先の──『パーラースマイル』という遊技場です」
「……遊技場?」
「そうです。……一般にはパチンコホールと言った方が伝わりやすいかも知れませんね。私たち夫婦は、そこのスタッフなのです」
阿久さんの言葉に、三浦氏が少し眉を顰めるのが分かった。同時に阿久さんが微笑む。フロアでよく見る、100点満点の営業スマイル。カチリと、スイッチが入った音が聞こえた気がした。
「どうかされましたか、三浦さん」
「いえ……。そうですか。パチンコ……」
「三浦さんは、打たれますか?」
「わたしは打ちませんが……」
「ご家族に打たれる方が?」
「──そうですね」
クセなのだろう、三浦氏がテーブルの上で組んだ指の親指をグルグルと回していた。弱々しい声色を包み込むように、インストゥメンタルの歌謡曲が一段ボリュームアップしたような気がした。
「どなたが打たれるんですか?」
「……妻です」
「奥様が。そうですか」
大きく鼻で息をして、ええ、と答える三浦氏。口もとに弱々しい笑みを浮かべている。よく見ると目の回りには大きなクマが出来ていた。肌も荒れている。もしかしたら夜中にあまり眠れていないのかも知れない。白髪も相まってかなり年上に見えるけど、もしかしたら僕の想像よりもずっと若い気がした。ぐるぐると親指を回しながら、その指先を見つめる。ほんの二三秒の間を置いて、阿久さんの声が響いた。優しい声だった。
「もしかして三浦さんの奥様は、何かご遊技に関してトラブルを抱えてらっしゃるのではありませんか?」
「……なぜ、そう思うんですか」
「ホールスタッフですので。そういった研修も受けております。それに、今の三浦さんの姿を見て、似たようなケースにも対応したことがあるのを思い出しました」
「研修──ですか……」
「はい。ギャンブル障害に悩む、ご本人やご家族のケアに関する研修です」
「ギャンブル障害って、いや、わたしの妻は……そんな」
指の回転が止まった。三浦氏が顔を上げる。いつの間にか、ついさっきまでの営業マン然とした物腰はすっかり失せ、落ち着きなく憔悴した様子が隠せなくなっていた。どちらかというと、こっちのほうがこの人の本来の姿なんだろう。
「いや……そうなのかも知れませんね……はは……」
眉を下げて笑う。見ているこちらの胸が痛くなるような、無理に作った笑顔に見えた。そしてここでようやく僕はこの会の意味を悟った。阿久さんは三浦さちさんのギャンブル障害問題をなんとかするつもりなのだ。何故僕が同席してるのかはよく分からなかったけども、きっとそれにも何か意味があるのだろう。阿久さんは口の端を上げ、月のようにおおらかで、そして美しい笑顔で頷いた。
「三浦さん。私どもで良ければ、相談に乗ります。もしそのつもりがおありでしたら、ご夫婦の間で何があったか、お聞かせくださいませんか──?」
三浦氏は一瞬逡巡の様子を見せたけども、やがて観念したように首を振って、そうしてぽつりぽつりと話始めたのだった。
ところどころつっかえながら、行きつ戻りつしてゆっくりと進むその話の内容を纏めるとこうだ。要するに、パチンコに出会って妻が変わってしまった。家事を放棄し、使っては行けないお金に手を出し。夫婦間の会話もなくなった。自分ではどうすることもできない。相談する相手もいない。解決策が見つからない。本社での研修の時に聞いた話と、そっくり同じ。金太郎飴だ。紋切型だった。本当にあるんだこんな話! という驚きもあったけども、それよりも「何故そんな簡単なトラブルが自分で解決できないのだろう」という疑問の方が勝った。阿久さんが黙って話を聞いている意味も良くわからない。言ってやれば良いのだ。たった一言。それで解決する。
「あのー、ちょっといいですか? 三浦さん」
「……はい?」
今まで置物を決め込んでいた僕の言葉に、三浦氏が顔を上げた。阿久さんも此方を見る。二人の目を交互に見て、それから当たり前の一言を当たり前に言った。
「奥さんに言って、パチンコを辞めて貰えばいいじゃないですか」
急激に、場の空気が淀んだ気がした。阿久さんの顔から笑顔が消える。三浦氏はまた親指をぐるぐると回し始め、それから再び自嘲気味に笑って小さく首を振った。
「もちろん、それはそうなのですが……」
「ですよね。ですよね。辞めて貰うのが一番の解決策ですよね」
「やめなさい、ポンコツ」
「あ、ポンコツって言った。ね、聞きました三浦さん。半年間ずっと言ってるんだもん──……」
「まったく、あなたは……。最近少しはマシになってきたかと思っていたのですが、どうやら私の勘違いだったようですね」
「……え?」
「奥様がパチンコを打つのには、打つ理由があるのです。打たなければならない理由が。打ちたくなくとも打ち続けてしまう理由が。パチンコを辞めさせるのが解決ではないのです。取り上げても意味がない。何故そうなってしまったか。それを探るのがまず第一に必要な事なのです。あなたは研修で一体何を学んだのですか」
「でも、今の旦那さんのお話を聞いたら結局パチンコを打つことそのものが問題になっているじゃないですか。ねぇ旦那さん」
「いえ、わ、私にはもう、何が何だか……」
「だから、パチンコと距離を取ってもらって、もうね、打たせない! これで解決じゃないんですか?」
深い溜息を吐いて、阿久さんがうなだれた。そしてこめかみの辺りに手を置いて何度か頭を振り、やがて僕の目を真っ直ぐに見た。冷たい。感情のない目。いつもの阿久さんだった。
「──ポンコツ。あなたは本当にそれでいいんですか?」
それは、いつだったかホールで言われた一言だった。そうだ。古馬さんと伊藤さんの目押し問題の時だ。僕が一人で突っ走って『目押しアシストサービス』で解決しようとした時。あの時ぼくは、お客様のことをちっとも考えていなかった。みなさんが何を望んでいるか。何を求めているか。全部無視して自己満足に浸っていた。ハッとして目を上げる。阿久さんが、もう一度口を開いた。
「あなたは、本当に、それでいいんですか?」
続く
※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。
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浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。