パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十六話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第二十六話

翌日。普段よりも一時間早くお店に到着すると、駐車場には既に2つの人影があった。斉木くんと三波さんだ。偉い偉い。遅刻しなかったな。

 

「おはようございます。先輩」
「おはようございます」

 

口々に挨拶しながら頭を下げる二人に「へへへ」と笑って返事をして、それから入店方法の説明をした。セキュリティの解除とシャッターの開け方。そして裏口の解錠。この辺りはセキュリティキーを管理する担当スタッフのみがやる仕事なので研修中に触る事はないのだけども、一応手順だけ見せておく。

 

「さあ、これで大丈夫。僕これ最初の頃うっかりセキュリティ鳴らしたことがあってさぁ。そうするとね、店長に連絡行くんだよね。まあ怒られるよねぇ!」

 

笑いながら入店する。窓から差し込む朝日に電源を落とされたパチンコやパチスロ台の輪郭が浮かんでいた。実はこの光景を、僕は結構好きだったりする。お客さんが誰も見たことがない朝の雰囲気。数時間後にはきらびやかなランプや効果音に包まれるようにして、ここに沢山のお客さんがきてそれぞれ目一杯に楽しむのだ。毎朝入店するたびに、それを想像してなんだかワクワクしてしまう。

 

「よし! だいたい9時くらいの掃除の業者さんが入るから。それまでに本格的な業務の流れのレクチャーをするね」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「うん。じゃあ昨日の手順通りに着替えて、インカムをつけて事務所に集合しよう……!」
「はい!」

 

早足でスタッフ用のロッカールームに向かう二人。よしよし。順調だ。僕はその間に朝のメールチェックを済ませてしまおう。急いで事務所に向かう。扉を開けた所で、思わず声がでた。

 

「ひぃッ!」
「……おはようございます」

 

阿久さんだった。

 

「うわ……びっくりした……。あれ? なんで居るんですか?」
「本日から新人がホールに立つと聞きましたので。様子を見に参りました」
「……あ、そうなんですか……。いや、それはいいんですけど。あれ? セキュリティは?」

 

阿久さんはそれに応えず、僕の頭からつま先までをじろりと確認してから大きく息を吐いた。

 

「ポン。制服で出勤しましたね」
「え? ああ……いやぁ、なんというか……。えー、はい……」
「注意するのはこれで三度目です。一度目はわたしも強く言いません。二度目は叱ります。三度目はどうなるかわかりますか?」
「……どうなるんですか?」
「吉田扱いです」
「そんな! それは酷いです阿久さん……!」

 

去年末の三浦さん事件以来、阿久さんの雰囲気が少し変わった。どこがどう変わったかはちょっと説明が難しいのだけども、少なくとも以前のようにゴミを見るような目で僕を見ることは無くなったし、こういうコミュニケーションもできるようになっていた。

 

「……冗談はさておき。制服のまま出退勤するのはあまり感心しませんね。例えば勤務中に知り得た業務上の情報をメモした紙がポケットに入っているかもしれない。メダルや玉や休憩札が入ってるかもしれない。あるいは、せっかくクリーニングした制服が出勤中に汚れてしまっているかもしれない」
「はい……すいません」
「それに、第一ズボラです」
「返す言葉も御座いません……」

 

反省しながら、ん? と思った。

 

「あ、でも阿久さんも……」
「なんですか?」
「阿久さんも制服で出勤してません?」
「わたしがですか?」
「はい。見たことないんですけども。ロッカー使う所。帰りも制服のままいなくなるし」

 

阿久さんは無表情でちょっと黙って、それから首を振った。

 

「そんな事はありません」
「あ! 今ちょっと考えた! 阿久さんもだ! 今ちょっと考えましたもん!」
「違います」

 

おお! ついに阿久牧子の弱みを握ったぞ! と一人で喜んでいる所で、着替えを済ませた二人が入室してきた。僕だけしかいないと思っている所で、いきなり知らない先輩を見つけて二人共すこし意表を付かれたような顔をする。

 

「おはようございます。阿久です。ポンだけでは不安なので、わたしも午前中だけあなた方の研修を見に参りました」

 

壁に貼り出してあるシフト表に目を向けた。阿久さんは本日はB番──正午からの出勤になっていた。どうやら本当にこのためだけに早く出てきてくれたらしい。本日の研修のスケジュールは午前中は開店前の時間を使って各種業務のシュミレーションと、鍵を持つ前の基本的なルールや知識の座学。いずれもマニュアルが用意されているものなので阿久さんがやる必要はあんまりない。ということはどうやら、これは新人二人の研修を見るというよりも、僕の指導を確認しにきたと考えるのが妥当だった。一気に冷や汗が出る。

 

「ではポン。始めてください」
「うおぉ……。なんか緊張してきた……。え、ホントに阿久さんも見るんですか」
「もちろん。そのために来ました」
「なんかすごいイヤだコレ……。あー……と。じゃあ、二人共座ってください……。まずね、鍵なんだけども、これ、鍵の管理台帳というのがありまして……。あ、シャチハタ持ってる?」
「ないです」
「ありません」

 

チラッと阿久さんを見ると、ものすごく冷たい目で「サインでいいです」と応えてくれた。

 

「そうか。サインでいいです。サインで……。ええとね、鍵を持つ前にはかならず、ここの所の番号を見て……。そんでその番号をここの所に書いて……、んでシャチハタを押して……じゃないや、ええと、サイン書いて……」
「それでいいです。はい……。んで鍵なんだけども、このズボンの所にさ、リングがあるでしょう。そう。そこと、あとベルト通しの部分で必ず二点止めする事。そう。それでいいね。よしオーケー! 完璧! へへ」
「ポン。何か忘れてませんか……」
「……ダブルチェックだ! そうだ。ええと、二点止めしたら必ずダブルチェック! 基本的に事務所に誰か居るから! 見てもらって下さい。今日は僕がやります。……はいヨシ! こうやって指差しするんだよ。面白いよね! はい三波さんもヨシ!」
「ポン、確認者のサイン……」
「あ! そう。でね、確認したら、その人もここにシャチハタ押すんだよ? 忘れちゃ駄目だからね。僕忘れてないからね。やろうと思ったら先に阿久さんが言っただけでね。ホントだからね?」
「ポン、報告……」
「ああ! でね、誰が何番の鍵を持ってるかはインカムで報告! あ! やばいインカムつけてない! 先にインカムつけてね! ホントは先にね! 今はこれ、間違った手順を敢えてやってるからね!」
「はぁ……。あなたは普段どんな手順で鍵を持ってるんですか……」

 

いつのまにやら、僕が受け持つ新人研修は「研修の研修」になっていた。必死にマニュアルを捲って口頭で説明したり実際にやってみせたりしながら、頭の片隅でちょっとだけ膝を打った。つまり、人員の入れ替えや増減が非常に少ない我らがパーラースマイルにおいて、新人の研修というのは結構レアな業務だ。一挙に2名も新卒社員がオン・ジョブ・トレーニングに来るというのはまたとない「研修の研修」の機会であって、これを逃す手はない。要するにこの機会に「新人研修」ができるように僕を鍛えようという事なのだろう。大熊店長の指示に違いない。

 

「鍵は色んな形があるんだけども、えーと……パチンコの鍵とパチスロの鍵と……あと精算機、サンド……。まあ色々あるけども、色と形で覚えようね。あ、三波さんサンドって分かる?」
「はい。貸出機ですよね」
「すごい! パチンコ打たないのに! さすが新卒!」
「あ、ありがとうございます」
「つぎリモコン! データマシンとサンドのリセットや休憩のオペレーションに使います! これは左側のベルト通しにつけよう! これも大事だから無くさないでね!」
「ポン、ちょっと待ちなさい。……わたしから補足します。鍵やリモコンなどの貸与物を紛失した場合、会社は全ての台や精算機のシリンダの交換などで莫大な損害を受けます。このお店だけでも数百万。チェーン全店では数千万円の費用が掛かる事もあるかもしれません」

 

ごくり、と喉が鳴った。なんだか自分が何気なくつけてる鍵がずしりと重くなった気がした。

 

「貸与物の管理は徹底。これは基本事項です。制服も貸与物なので、着たまま帰るなど言語道断。もしリモコンや鍵をルール通りに装着してないスタッフがポケットに入れたまま退勤してどこかに落としたらどうなるか想像してみてください」

 

斉木くんと三波さんが思わずといった感じで顔を見合わせる。

 

「とはいえ、これは誰かが必ず持たなければならない業務上絶対に必要なものです。会社は採用したスタッフを信じ、間違いが起きないと確信して貸与するのです。あなた方を、心から信頼しているからこそ、鍵を持ってもらうのです。……それを忘れずに、業務にあたってください」

 

一瞬の間を置いて、背筋を伸ばした新人二人が大きな声で「はい!」と応えた。特に三波さんなんかは目がさっきの五倍くらい輝いている。な、なんだ一体。これは……。

 

「ではポン。続けてください」

 

 

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。