こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。
こちらは栃木県と東京都でパチンコホール「BBステーション」を経営する株式会社大善の「採用サイト」です。
さて、とかく「昔のパチンコ屋さん」のお話になりがちな私の記事。古いモノに興味がない人から見ると「年寄り臭い」とか「うしろ向き」と捉えられてしまうこともあるようです。
しかしですね、過去ってたまには振り返らないと、ホントに跡形もなく忘れ去られてしまうかもしれないんですよ。というのも、ちょっと最近「よもやこれほどとは」と驚くような出来事があったのです。
誌面企画「乗り鉄・撮りパチ・レトロ旅」
私が「レトロなパチンコ屋さん」をテーマにした記事を雑誌などに書き始めたのは2012年ごろ。
▲これは最初期の企画で、名古屋在住の私が市内に点在するレトロパチンコ物件をニッチな視点で紹介するというもの(今やってることと変わらない)。「名古屋市営地下鉄の駅から徒歩圏内」という縛りで、カメラ片手に旅へ出ることをおススメしています(これも今と変わらない)。
私の変わり映えのなさはさておき、記事中で紹介したレトロホールたちは今どうなっているのでしょうか。ふと思い立って、掲載したホール10店舗を訪ねてみました。
今回はその様子を、2011〜12年に撮影した写真と比べながら紹介したいと思います。
まずは前編の5店舗です。
①名古屋市西区「アラジン」(鶴舞線・庄内緑地公園駅から徒歩6分)
訪れた回数は多くありませんでしたが、データ採り(=新台の調査)で『キックの鬼』という甘デジを実戦した時のことを強烈に覚えています。「アレ」がすごいことになっていて(書けない)信じられないような大勝を収めました。
でも、たとえ負けたとしてもこの尊い夜景を見れば瞬時に癒されたことでしょう。
▲特に、柱看板(ポールサイン)の“Pachinko”のロゴデザインがオシャレだなあと見惚れたものでした。「アラジン」という名のホールなので“ i ”のデザインが魔法のランプっぽくなってたんですね。
このホールがあった場所は現在……。
集合住宅になっていました。
アラジンは2016年12月31日に閉店。28年の歴史に幕を閉じました。
当時、ちょっと話題になったのがこの店の「閉店の挨拶」の文章です。
『アラジン』は平成28年12月31日をもちまして営業終了とさせていただきます。
地域の皆様の遊びのオアシスになりたい!!
ご近所の憩いの場でありたい!!
そんな思いで、当店では皆様のご期待に添えるホール、ご満足いただけるホールをめざしてきました。28年という年月の間、この地域の皆様やたくさんのお客様にご愛顧をいただきまして営業できたこと、誠に、感謝致しております。西区の近くにはHセンター様、C店様、M上小田井駅前店様、Tプラザ城西店様、等々まだまだ素敵なホール様がございます。これからも、パチンコ・スロットを心の底から楽しんで愛して頂けると嬉しい思いであります。
長い間、本当に本当にありがとうございました。
(店名のアルファベット表記は原文では実名。その他は原文ママ)
こんなに長文でエモい閉店の挨拶にはなかなかお目にかかれません。顧客への感謝をしっかり述べたあと、近隣のホール(つまりはライバル店)の名前を挙げ、自店がなくなってもパチンコを愛し続けてほしいと締めくくっています。今読んでもウルッときちゃいますね。
さらに泣けるのが、現在もなぜか残っているアラジンのSNSアカウント。Instagramの最後の投稿がこちらです。
この投稿をInstagramで見る
ホールを解体したあとに残った廃材で作った時計だそうです。
パチンコ玉、メダル、パチスロのリール、パチンコの風車など。
私は時々、この時計のことを思い出します。今はどこで時を刻んでいるのかなあと。ホール企業のその後を取材したいと思い続けていますが、未だ関係者様とご縁がつながりません。いつの日か取材が実現したときには、時計との対面も果たしたいです。
②名古屋市熱田区「東海」(名港線・六番町駅から徒歩1分)
名古屋市熱田区の国道1号線沿いにあったホール。
▲現在は閉店し、跡地はパーキングになっています。
私がこのホールの一番の見どころとして挙げていたのは「街路灯看板」です。
パチンコは明日への活力! 最高ですよね。見るだけで活力が湧いてくるので、営業していた頃は近くへ行くたびにこの看板で英気を養ってました。
「ホールなき今、看板もなくなってしまったんだろうな……」
そう思いながら現地を訪ねました。
ああ、やっぱり。塞がれています。
でも確か、同じ看板がもう1~2箇所あったと思うんです。うろ覚えだけど、あの看板もそうだったはず。
パッと見、のっぺらぼうになってますね。
しかし、さらに近づいてみると……!
逆転大当り! うっすらと……でもしっかりと「明日への活力!」が読み取れます。ホールはなくなってしまいましたが、痕跡は残っていました。
2000年代後半にこの店で新台のデータ採りをしたとき、年配のホール店員さんが好奇心全開な表情で「なんでメモを取ってるんですか?」と話しかけてくれたのが印象に残っています。「雑誌の取材です」と答えたら「うちの店が載るんですか!」と喜んでくださったのが嬉しくて。結局そのデータはボツになってしまいましたが、懐かしい思い出です。
③名古屋市熱田区「五番町会館」(名港線・東海通駅から徒歩10分)
とても珍しい立地で営業していたホールです。同じような環境の店にはまずお目にかかれないでしょう。ただし▲この写真には「珍しいもの」が写っていません。
▲別角度から。さて、どこが珍しいのか分かりますか?
「パチンコ」のネオン看板の左側に伸びる茶色い橋のような物体があるでしょう? これが珍しさの所以なんですが、正体は「線路」です。
「いやいや、高架下で営業してるホールなんてゴマンとあるやん!」
そう思いますよね。
でもこれ、普通の線路じゃないんです。
「未成線」の線路なんです。
▲おわかりいただけただろうか……。
2012年のストリートビューです。線路が切れてますね。あ、いや。線路にはなれなかったんだから「高架橋が切れている」と言うべきですかね。
これは、国鉄が作ろうとしていた「南方貨物線」になるはずだった高架橋で、Wikipedia によりますと、国鉄の財政難により建設が凍結されたあと、高架橋ごと一般に売却された土地があったらしいのです。買った側は高架橋を活用する形で家や店や駐車場を作る例が多かったそうです。
五番町会館は2017年に閉店。その後、ホールとともに高架橋も解体され、現在はパーキングになっています。
④名古屋市港区「IBAHASHI」(名港線・築地口駅から徒歩2分)
▲2012年撮影。我ながらちょっと驚いたんですが、営業しているホールなのにシャッターが閉じた状態の写真を選んで誌面に掲載してました。シャッターの緑と看板の赤色の組み合わせが気に入っていたようです。
現在のIBAHASHI。営業なさっています!
IBAHASHI(イバハシ)は漢字で書くと「以波橋」。2011年ごろまで屋上看板は渋めのデザインでした。
それが1年後の2012年にはポップな感じに変わっていて、ちょっと残念に思った記憶があります。ロゴのキャラクターが「馬と騎手」なのは、経営者が競走馬の馬主だったからだそうです。
⑤名古屋市西区「ちとせ」(桜通線・国際センター駅から徒歩10分)
2012年撮影。名古屋で最も古い商店街のひとつである「円頓寺商店街」のアーケードの中にありました。現代風の外観ですが、昭和20年代から営業していたホールです。
ちとせの開店は、風営法の施行前であったらしく、営業許可は民生委員の判をもらって開店している。
鈴木笑子「天の釘」晩聲社(2001年)より引用
▲この記述通りなら、風営法(当時は「風俗営業取締法」)が制定された1948(昭和23)年より前に開店したことになり、日本最古レベルの超老舗でした。
▲2012年頃は内装も新しくなっていましたが、店の裏側には年季の入った看板があり「おおっ、レトロ発見!」と小躍りしながら撮影しました。
ちとせは2018年に閉店。▲これは2019年に撮影した写真です。店舗も看板も撤去済みで、マンションの建築工事が始まろうとしていました。
そして今月。
跡地には立派なマンションが建っていました。
ここについ4年前まで、約70年も営業したパチンコ店があったと誰が想像できるでしょう。
文化財のように守られることは決してない。
老若男女に幅広く利用され、誰からも愛される場所にはなりえない。
忘れ去られないようにするためには「忘れたくない人」「思い出したい人」「伝えたい人」が記録し、語り継ぐしかないのだと思います。
<前半おわり>
ライター紹介:栄華Twitterリンク変更用
パチンコライター。全国2800ヶ所以上のパチンコ店を探訪し写真撮影を行うほか、パチンコ書籍やパチンコ玩具等の蒐集など周辺文化の探究に軸足を置いた活動を行う。パチテレ!「パチンコロックンロールDX」レギュラー出演。パチンコ必勝ガイドにて「栄華の旅がたり」連載中。著著「八画文化会館VOL.7 ~I ♡ PACHINKO HALL パチンコホールが大好き!!~」が好評発売中。 偏愛パチンコバンド「テンゴ」で作詞とボーカルを担当。