名古屋撮りパチ10年旅 <後編>

名古屋撮りパチ10年旅 <後編>

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。

こちらは栃木県と東京都でパチンコホール「BBステーション」を経営する株式会社大善の「採用サイト」です。

 

前回の「名古屋・撮りパチ10年旅・前編」を読んで下さったみなさま、ありがとうございました。名古屋にゆかりがない方、パチンコについてあまり知識がない方にも楽しんで頂けたようで光栄です。

 

私が2012年にパチンコ雑誌の記事で取り上げた「名古屋のレトロなパチンコ店」を10年ぶりに訪ね歩く、というこの企画。今回は後半の5店舗を紹介します。

 

 

⑥名古屋市北区 ラッキーイチバン(上飯田線・上飯田駅から徒歩5分)

2011年撮影。とても華やかなネオン看板です。手前の人物やバス停と比較しても、かなりの大きさだったことが分かるでしょう。現在は全国的に見ても、この規模のネオン看板を見られる場所はほとんどなくなりました。

 

撮影当時、ネオン管は常時全点灯していましたが、この看板を施工した電飾業者さんから「昔は点滅していた」とお聞きしています。

 

▲業者さんが1980〜90年代に撮影した写真。点滅していたことが分かりますね。

 

昔のネオン点滅器はアナログで大がかりな装置だったそうで(今は小型で電子制御)、故障すると修理が難しいのか「昔は点滅していたけど今は点きっぱなし」というエピソードをよく聞きます。

 

このホールは現在、この様な外観となっています。

 

シンプルで垢抜けた雰囲気に。一見スーパーマーケットのようにも見えますね。周囲の景観にも溶け込んでいます。

 

ちょっと寂しいけれど、華美なネオンやアナログな点滅器は、今の時代にそぐわない代物になってしまったのでしょう。

 

 

⑦名古屋市北区 マルキ(上飯田線・上飯田駅から徒歩1分)

もう1軒上飯田から。

「マルキ」というホールです。2011年に撮影。

 

名古屋名物(だと勝手に認定している)「パ」だけ大きいネオンサイン。六芒星のようなマークがどこか神秘的。

 

このホールの現在がこちらです。

 

今もパチンコ店ですが、店名も経営者も変わっています。よく見ないと同じ建物だと分からないぐらい雰囲気が変わりましたね。

 

まだ「マルキ」だった頃、こんな電飾がありました。

 

▲オシャレだと思いませんか。部屋に飾りたいと思うぐらい好きでした。

 

2階のスロットフロアに向かう階段の上部にあった電飾です。凝った作りのネオン看板で、9マスそれぞれに「チェリー」「ベル」「7」を模ったネオン管が3層重ねて配してあり、順序良く点滅させることで図柄が動いているように見えたのです。

 

……と、説明したところでイメージが湧かないと思うので動画をご覧にいれたいところですが、なんたる不覚、撮影していませんでした。なぜ撮らなかったのか自分でも不思議です。今なら撮らないわけがないのに。

 

ただですね、撮影時のSDカードを見てみたら、一部連写をしていたことに気付きました。これをつないでみたらちょっとは動いてるように見えるかも。

 

どうでしょう。

雰囲気伝わりますか?

 

現在の写真。マルの部分に電飾がありました。

 

好きなものがなくなるのは寂しいけど「残念」とは言っちゃいけない気がします。生まれ変わったホールが、こうやって今を生きる姿を見せてくれているんですからね。

 

 

 

⑧名古屋市昭和区 ギンザ(鶴舞線&桜通線・御器所駅から徒歩1分)

▲グーグル画像ですみません。2011年のストリートビューです。ご覧の通り、当時はパチンコ店が2店舗並んでいました。

 

私がこのホールのどこに「レトロ」を感じていたかといいますと、

 

▲ここです。何を撮りたいのか分かります?

 

 

▲ふー、たまりませんね~。

 

 

▲別角度から。

カタカナで「パチンコ」と表記された看板です。このように裏側からしか全体像を見ることができませんでした。

 

最初のストリートビューを見て頂いてもわかる通り、ホールより背の高いマンションが隣に建ってしまい、看板が塞がれてしまったんです。

 

私はこれを「ビル影物件」と呼んで珍重していました。かつてはネオン管や電球で彩られ、周囲に華やかな存在感を放っていた看板が、時を経て無用の長物となってしまった、その悲哀。赤瀬川原平の「トマソン」の真似事ですね。

 

この景色が現在どうなったかというと……。

 

中央の一番背の高い建物が、ギンザのあった場所です。2013年に閉店し、ギンザを追い抜いた左隣のマンションよりさらに高いマンションが建ちました。

 

 

もう一軒のホールも解体され、整地が始まろうとしています。

 

現在、御器所駅近辺には1軒もパチンコ店がありません。

 

 

 

⑨名古屋市千種区 ニューヒカリ2(東山線・池下駅から徒歩2分)

2012年撮影。パチンコ店の夜景の美しさと「看板の文字」を鑑賞する楽しさを教えてくれたホールです。

 

▲この秀逸なデザイン!

 

「パチンコ」というカタカナ表記のネオンサインは「パ」にインパクトを置いたデザインがよく見られます。この看板の「パ」も個性的ですが、もうひとつ特徴になっているのが「チ」です。チの一画目が矢印になっていて「パ」の半濁点の中に向かっています。半濁点を「賞球口」、チの一画目を「玉の軌道」に見立てたユニークなデザインです。

 

このホールの現在の姿がこちら。

 

1枚目の写真に近いアングルで撮影。ずいぶん雰囲気が変わりましたね。

 

さらには店名が「ニューヒカリ2」から「ニューヒカリ3」に変わっています。改装によってホールの物語は第3章へ……。そんな志の現れでしょうか。

 

現在の「ニューヒカリ3」の会員カードには、改装前の建物のノスタルジックなモノクロ写真がプリントされています。 

 

 

 

⑩名古屋市西区 ダイイチ押切店(鶴舞線・浅間町駅から徒歩6分)

ラストの10店目は、名古屋市西区の「ダイイチ押切店」というホール。

まずは、私のこのツイートを見て下さい。

 

▲2011年と2021年、同じ場所で撮った写真を並べたコラージュです。ダイイチ押切店(跡)で撮影しました。

 

 

お店の正面ではなく裏側にあった看板なんですが、この景色になんとも言えない趣を感じていました。

 

その約1年後、2012年の写真がこちらです。

 

印象が違いますね。

集合住宅の外壁が白く塗り直されていました。

 

 

それと同時に、パチンコ店の外装もリニューアル。

 

 

改装前は、匂い立つような歴史の凄みがありました。当時の様子をぜひ見て頂きたいのですが、私の写真は今ひとつよく撮れていないので、助っ人にお力を借りします。

 

2000年代の写真です。集合住宅の一階にテナント。この店舗形態が香ばしいですよね。たくさんの自転車が止まっていて活気も感じられます。

 

撮影者のわぎぞーさんは名古屋在住の方ではありません。この時「ある目的」で遠方からはるばるダイイチを訪ねて来られました。わぎぞーさんだけではありません。実はこのホールについてSNSで触れると、色々な地域にお住まいの方々から反応を頂きます。例えばこんな風に。

 

「ダイイチ押切! スロはバニーとJP、パチはセクシーショット、勝負伝説と機種選択がナイスなお店でした」

 

「名古屋に住んでいた頃、この店を見つけたときはジャックポット2A(とサンダーV)が置いてあったことをよく覚えてます。」

 

「うちのポチDX、ドッカンレックス、アクアビーナスとか最後にうてたのが其処でございました」

 

今は存在しない店なので昔話として書きますが、みなし機の設置が多いホールでした。懐かしの遊技機に再会できる場として旧台ファンから愛されたのです。

 

懐かしいのは設置台だけではありません。さきほどの外観写真を見ても分かる通り、かなり年季の入った建物です。中の設備も驚くほど古いものでした。

 

私が撮影した店内写真はこれ一枚のみ(2011年)。レトロなタイルがあしらわれた洗面所。当時は店内設備にあまり注意を傾けていませんでした。

 

なぜもっとよく見ておかなかったんだろう。足しげく通わなかったんだろう。後悔は尽きませんが、幸いにもダイイチは、色々な方からエピソードをお聞きしたり、写真をシェアして頂くことができます。

 

元「パチンコ攻略マガジン」のライター、アンドレさんは名古屋にお住まいだった頃、ダイイチによく通われたそうで、たくさんエピソードを聞かせてくださいました。中でも特筆したいのがこの証言です。

 

名古屋市内に存在した黄昏ホールを厳選するなら確実に五傑に入るでしょう。

景品買取所に近いシマ(晩年は甘デジ列)は、戦後間もない頃の「中に人が入れる構造」のままで、玉詰まりするとオバちゃんが入って直すという超レトロ待遇でした。

 

皆さんは、手動で玉の補給を行っていた時代をご存知ですか?

 

知らない方はここへ飛んでみてください。

「NHKアーカイブス」の検索結果より

▲「パチンコ・競馬」とタイトルのついた動画の1分あたりに「シマの中に人がいるパチンコ店」の映像が出てきます。

 

ダイイチは21世紀まで営業していたホールですので、さすがに玉は自動で循環していました。ただ「中に人が入ることができる構造」が残ったままで自動化されていたそうです。

 

玉自動補給装置が開発され始めたのは昭和30年代のこと。「じゃあ、ダイイチはその当時から営業していたホールなのね」と思いたいところですがそれは違います。

 

ダイイチが開店したのは1986年ごろ

それまでは別の経営者が営業する「正村」という名前のホールでした。

 

パチンコの歴史に少しお詳しい方ならご存知でしょう。パチンコメーカー・正村商会の創業者にして「現代パチンコの父」とも称される正村竹一氏のご親族が経営していたホールです。

 

押切にはかなり早い時期から直営店があったそうなので、もちろん「シマの中に人がいた時代」も経てきたことでしょう。その正村が1980年代の半ばに店を畳み、跡地でダイイチが開業したのです。

 

ダイイチは2014年に閉店。

跡地はコインランドリーになりました。

 

 

 

さいごに

「レトロ」をテーマにした誌面企画で取り上げた10店舗のホールたち。10年ぶりに訪ねてみたら「よもやこれほどとは」と驚くぐらい、ほぼすべての店が大きく変貌していました。うち6店舗は見る影もなくなっていましたし、営業しているホールも改装によって姿を変えていました。

 

これが10年という年月です。

 

私はけっして「変わらずにいて」とか「古いものを残すべきだ」と訴えたいわけではありません。時代に合わせて生きていくために、変化は必然です。

 

私が「残しませんか」と提案したいのは、記録です。あらゆるホールについて、エピソードを持っている人の話を聞きたいし、写真や動画を持っておられるなら見てみたい。

 

今回紹介した10店舗についても「自分の方がよく知っている」「もっと深く語れる」という方々が大勢おられると思います。

 

そういう方たちが、ブログやSNS等を通して記憶を言葉に変える=記録を残すきっかけを作ることができればと思い、この記事を書きました。

 

あなたの忘れたくない、思い出したい、伝えたいホールの話をどうか発信してください。

 

 

~スペシャルサンクス~

 アンドレさん

 わぎぞーさん

 葵✩つばささん

 

 

 

ライター紹介:栄華

パチンコライター。全国2800ヶ所以上のパチンコ店を探訪し写真撮影を行うほか、パチンコ書籍やパチンコ玩具等の蒐集など周辺文化の探究に軸足を置いた活動を行う。パチテレ!「パチンコロックンロールDX」レギュラー出演。パチンコ必勝ガイドにて「栄華の旅がたり」連載中。著著「八画文化会館VOL.7 ~I ♡ PACHINKO HALL パチンコホールが大好き!!~」が好評発売中。 偏愛パチンコバンド「テンゴ」で作詞とボーカルを担当。