一枚のマッチラベルから<前編>

一枚のマッチラベルから<前編>

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。

今月二度目のお目文字、嬉しゅうございます。

 

新型コロナウイルス感染拡大防止のためご自宅でお過ごしの皆様に1本でも多く読み物をお届けしようということで、今月は特別追加オーダーを頂きました。幸い(不幸中の)なことに、平素よりも潤沢に時間がございますので、感謝の気持ちで丹念に書かせて頂きたいと思います。

 

 

先月告知したヤツです

お届けしますのは、「一枚のマッチラベルから」という企画。

「昭和30年代のパチンコ店のマッチ箱」をじっくりと見て、そこに記載された情報を糸口にどんなホールだったのか調べてみようという内容です。

 

(前回記事を未読の方は、こちら に私のマッチラベル蒐集歴などについて書きましたのでよろしければお目通し下さい)

 

今回の調査対象はこちら。

 

京都・四条に存在したらしき「丸玉」というパチンコホールのマッチです。

500枚以上のコレクションの中からこれを選んだのは、

 

①情報量が多めなので調査しやすそう(初回なのでね)

②京都には土地勘がある(個人的事由)

③何より、ホールそのものに魅力を感じる(直感)

 

という理由からです。

①・③については共感していただけると思います。さっそくマッチラベルに記されている文字を書き出してみましょう。

 

  • 百万人の娯楽場
  • 階上座席パチンコ・ホール
  • グランドパチンコ 金の玉 丸玉 京・四条御旅町 TEL (2)1040
  • パチンコ界の寵児 ベビー マルタマ 京・四条小橋東詰角
  • グラントパチンコ 333
  • TVとスケートの見える静かなルーム
  • グリル 喫茶
  • 四条寺町 アイスパレス 階上 333

 

すぐに分かるのは、「1店舗の情報ではない」ということです。少なくとも「御旅町」「四条小橋東詰角」「四条寺町」と3つの住所が見て取れるので、3店舗あることは確かなのですが、「333」という店については2店舗あったという解釈もできます。

 

1.「喫茶・グリル 333」

2.「グラント(グランド?)パチンコ333」

 

です。現在の感覚で言えば、パチンコホールの店名に併記された数字は設置台数を示していることが多いので、この時代からそういった慣例があったのかも? と考えてしまいます。

 

そこで問題になるのが、「この時代」とはいつか? ということです。

ちなみにこのマッチラベルは、このような状態で入手しました。

 

蒐集した方が、マッチ箱から剥がしてノートに貼り付けたものです。

 

剥がす際に破損しているラベルも多いのですが、コレクターさんの息遣いというか、人となりのようなものが伝わってきて微笑ましくもあります。

 

こうした貼り付けタイプのものは、マッチが作られた時期が比較的特定しやすいです。周囲に貼り付けられた「その他のマッチ」もヒントになるからです。しっかり糊付けしてあるので再編集ができず、同じページに貼り付けられたラベルは同時代の物である可能性が高いでしょう。

 

例えば、このノートには裏面にもマッチラベルが貼り付けられいて、その中にこんなものがありました。

 

せともの祭 7月22日-26日

 

こうしたイベント系のマッチラベルは製作年を推理する上で有力なヒントになります。ただ、これは残念なことに曜日が記載されていませんね。「最終の2日間は土日なのでは?」とも考えましたが、このお祭りは「大阪せともの祭」として現在も開催されており、「毎年7月21・22・23日」の3日間行われることが分かりました。開催日が固定されているんですね。

 

興味が湧いたので色々調べてみると、「大阪歴史博物館」のウェブサイトで公開されている研究史料の中に、大阪せともの祭に関するこんな記述を見つけました。

 

(前略)

祭りの主体が横陶会から大阪府陶磁器商業協同組合に移る昭和31年(一九五六)以降は

(後略)

(せともの祭の戦前・戦後 ラジオ番組「大阪アラベスク」のSP音源をめぐって 澤井浩一 2015年)

 

マッチラベルを見ると「主催:大阪府陶磁器商業協同組合」と記載されています。つまり、昭和31年以降のものであることがうかがえます。

 

同じ資料に、戦後のせともの祭は昭和30年代に隆盛を極め、40年代には規模が縮小していったと記述されているので、開催日数が5日間から3日間に減った時期を調べればさらに特定できそうです。しかし、年ごとに開催日を調べると、平成に入ってからも開催期間が3日だったり4日だったりしていたので、とりあえずこのラベルでの特定は保留することにしました。

 

それより大きなヒントが、本丸のマッチラベルにあります。

 

四条寺町「アイスパレス」です。

どうやらスケートリンクがあったようですが、四条寺町といえば京都市内でも指折りの繁華街です。私は1980年から12年ほどに京都に住みましたが、引っ越した当時、四条寺町にスケート場はありませんでした。

 

「京都 アイスパレス」というワードでネット検索すると、「株式会社巴コーポレーション」のウェブサイトが上位に表示されます。巴コーポレーションは大正7年創業の大手建設会社で、東京スカイツリーや六本木ヒルズ森タワー等の建設にも関わっています。ウェブサイトの「過去の実績・技術」というページの中で「京都アイスパレス」が紹介されていました。貴重な外観を見ることができます。

 

https://www.tomoe-corporation.co.jp/100th/record/014.html

 

建方年度1953年(昭和28)、発注者は国際スケート株式会社、「建設資材入手困難な為、海軍格納庫を解体・移築した物件」と記されています。

 

なんだか、すごく立派な施設っぽいですが、ここが本当にマッチラベルにある「アイスパレス」と同じ建物なんでしょうか。ちなみに発注者の「国際スケート株式会社」を様々なデータベースで検索してみたのですが、私のリサーチ力では全く情報が出てきませんでした(もし情報をお持ちの方がいたらお分け頂きたいです)。

 

さらにネット検索を進めていくと、「日本観光史」というホームページにたどり着きました。博物館や動物園、遊園地、城、ダム、海水浴場、スポーツ施設など様々な観光地の歴史がまとめられたユニークなサイトで、その中にスケート場の歴史をまとめたページがあったのです。

 

http://web2.nazca.co.jp/px4854/page042.html

 

「1953年9月 キョートアイスパレス開業」とあります。ここまでなら巴コーポレーションの情報と変わらないのですが、ひとつ大きな違いがありました。なんとこちらのサイトには、施設管理者の欄に「丸玉観光(株)」と記載されていたのです。 アイスパレスという施設が、パチンコ店「丸玉」を経営していた会社の所有物であった可能性が出てきました。

 

さらに、これをご覧ください。こんな地図を発見しました(Googleマイマップ)

 

●日本国内のスケートリンク(過去に使われたリンク、閉鎖したリンクなど)

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1Kj-hXFSzIVL_1OxuDeaSoh5yDMo&usp=sharing

 

素晴らしい情報量ですが、どなたが作成したものか分かりませんでした。「Googleマイマップ」は、一般公開されると第三者が保存・再共有できてしまい「いつ誰がなんの目的で作成したのか辿れなくなる」という特性があります。

 

そんなマイマップの情報ゆえ、どこまで信頼していいのか迷うところですが「そういうもの」と理解した上でキョートアイスパレスの情報を参照しますと、こんな説明が加えられています。

 

◇開業:1953年9月21日 ◇閉鎖:1956年

◇リンク規格:屋内56x26m ◇客席数:7000

◇常設舞台ステージも完備し、フィギュアスケートの競技会の他に「アメリカン・ホリディ・オン・アイス」などのアイスショーも開催された。閉鎖された後は映画館に改装された。その後建物は解体され、跡地には隣の高島屋が拡張して新館を建て現在に至る。

 

開業年は巴コーポレーションや日本観光史のサイトと一致していますし、マップを確認しても所在地は四条寺町でした。

 

また、2008年に樹林舎から出版された「京都今昔写真集」という書籍の47ページには、「映画館・パレス劇場」の写真が掲載されていました。

 

1960年(昭和35)に撮影された写真で、先ほどの巴コーポレーションのサイトと確かに同じ建物なのですが、看板の “ICE PALECE” という文字の “ICE” が取り外され、 “PALECE” だけになっており、このような解説が添えられていました。

 

四条寺町下ル貞安前之町にあった龍池山大運院の境内に設営された巨大な映画館・パレス劇場。もとは昭和28年に建てられたアイススケート場だった。

 

うん、どうやらこれが「グリル・喫茶 333」があったアイスパレスと考えて間違いなさそうです。

 

マイマップに記載された情報を信じるなら、スケートリンクとしての営業は1953年(昭和28)から1956年(昭和31)のたった3年間。マッチラベルに「スケートの見える」と書いてあるので、映画館になる前に作られたマッチということになります。

 

また、先ほどの「せともの祭」のマッチラベルが昭和31年以降の物であることを考え合わせると、このマッチも昭和31年に作られた可能性が高いのではないかと推測します。

 

 

丸玉観光について

製作年がかなり絞れたので、今度は「丸玉観光株式会社」について調べてみましょう。するとまた、前出の「日本観光史」のサイトにたどり着きました。

 

http://web2.nazca.co.jp/zz1564/page476.html

 

まさか丸玉観光単独のページがあるなんて。すごいサイトですね。

年表を見て行くと、気になる点がいろいろあります。

 

●「喫茶・グリル333」が1951年開業と記載されている

(アイスパレスは1953年開業なのに?)

●1970~80年代あたりに関西に住んだことがある人なら、つい惹かれてまうであろうワードが散見される(「紅葉パラダイス」など)

●創業者が著したと思われる自伝の情報がある

(木下彌三郎著 「奔馬の一生」 出帆社)

●既に会社はなくなっている?

 

いや、これはまず自伝を手に入れるべきでしょう。

ということで、古書サイトを漁ったところ……

 

見つけました! 既にゲット済みです。

 

刊行されたのは1976年(昭和51)。余談ですが、当時の定価2300円で、購入価格は3310円でした。

 

目次を見てみると、知りたいことがぜんぶ書いてありそうな見出しが並んでおりワクワクします。さっそく内容を紹介したいところですが……残念、ここで文字数が満ちました。

 

次回はマッチラベルにある「丸玉」というパチンコホールがどこにあったのか、どんな外観だったのか、そして丸玉観光という会社についてなど解明してゆきたいと思います。お楽しみに~!

 

 

後半はこちら

 

 

<おまけ>

キョートアイスパレスについて調べていて、こんな資料も手に入れたのでご紹介。1953年11月26日から12月6日に開催された「アメリカン・ホリデイ・オン・アイス 京都公演」のパンフレットです。なんとメルカリに出品されてました。「333」の広告が入っていることを期待して購入しましたが、広告は「松坂屋」「朝日生命」「髙島屋」「東京海上火災」「森永ミルクチョコレート」と大企業のものばかりでした。

 

 

 

 

 

 

ライター紹介:栄華

パチンコライター。全国2500ヶ所以上のパチンコ店を探訪し写真撮影を行うほか、パチンコ書籍やパチンコ玩具等の蒐集など周辺文化の探究に軸足を置いた活動を行う。パチテレ!「パチってる場合ですよ!」「パチンコロックンロールDX」レギュラー。パチンコ必勝ガイドにて「栄華の旅がたり」連載中。著著「八画文化会館VOL.7 ~I ♡ PACHINKO HALL パチンコホールが大好き!!~」が好評発売中。 偏愛パチンコバンド「テンゴ」で作詞とボーカルを担当。