パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第十九話

パーラー・スマイル~優しい悪魔がいるホール~ 第十九話

二畳ほどの狭い空間。頼りない照明に切り取られるように、電源が落とされたディスプレイの輪郭が見えた。マットに横たわったままスマホのカレンダーアプリに目を向むけ、最近の記憶を反芻する。曜日の感覚があやふやだったが、どうやらもう四日も家に帰っていないらしい。午前六時。充分な睡眠を取ったとは言えなかったが、そろそろ準備をしなければならない。ゆっくりと上半身を起こして部屋の片隅に置きっぱなしのバッグを手に取る。財布から100円硬貨を4枚取り出して握り、あとはタオルだけを持ってスリッパを履いた。

 

今しがた潜ったのと同じ形のドアがずらりと並ぶ細い廊下。いびきが漏れ聞こえる部屋もあったが、おおむね、シンと静まり返っている。とは言え無人かというとそうでもなく、おそらくは大抵のお客が自分と同じく気配を殺しているだけなのだろう。廊下を抜け、コミックやDVDが満載されたラックが立ち並ぶ空間へ出た。部屋の一角には無料のドリンクバーとカップ麺類の自動販売機。シャワーは15分350円で、シャンプーやボディソープは別料金。トイレもあるし、下の階には軽食を食べられる喫茶店もあった。ネットカフェで寝起きする事になるとは一年前には想像もしていなかったが、実際そうなってしまうとなんて事はない。むしろ、誰にも干渉されないこの空間は意外にも居心地が良かった。

 

シャワーを済ませて部屋に戻る。時間を確認するためにスマホに目を向けると、夫からの着信を知らせる窓が表示されていた。生存確認だろうか、朝昼晩。家を出てから定期的に連絡が入るが、一度メールで返事をしたきり応答していない。このまま放っておけば、そのうち連絡が来ることもなくなるのだろうか。それならそれでいい。少なくとも、変に捜索願などを出されて無理やり連れ戻されてしまうより、ずっとましなのかもしれない。スマホを見つめながらそんな事を考えていると、また画面が光った。メールだった。

 

(さち、今どこにいるんだ? 心配だから連絡をくれないか)

 

胸の奥が締め付けられるような感覚があった。が、それも一瞬の事だった。スマホの電源を落としてバッグに仕舞う。二着持ってきた洋服のうち一着の皺を伸ばして着替え、店の外に出た。

肌寒い北関東の午前。通学途中の小学生や通勤中のサラリーマンに紛れるようにして駅へ向かった。既に自宅の近隣のパチンコホールは全て出入り禁止になってしまっていたので、遊ぶためには離れた場所へと向かう必要があった。しかも車のキーは夫が隠してしまっていたので、移動には公共の交通機関を利用する必要があった。朝から電車に乗って移動するのはOL時代以来だった。毎朝出勤ラッシュに揉まれながら都心の会社へと向かう自分はなんて不幸なんだろう。そう思っていた当時を思い返しつい自嘲しそうになった。

電車に揺られ、3駅離れた場所で降りた。まだ開店前の時間だったが、駅前にあるパチンコホールの前には5人ほどのお客が並んでいた。今日はここにしよう。そう決めて、少し離れた場所でスマホを見るふりをして時間を潰すことにした。

 

開店まであと10分。

 

少し寒いので缶コーヒーでも買って暖を取ろうかと思っていた時、不意に肩が叩かれた。振り返る。見覚えのある顔だ。おそらく自分より年下の、少し童顔で色白の男が肩で息をしながら立っていた。だれだったけ、この人。記憶をたどる。もう少しで出てきそうだったが、分からなかった。

 

「ハァ、ハァ。走った……。走りました……。ええと、ハァ……ハァ……。三浦、さちさんですよね……?」
「……誰、あなた」
「ちょっと待って下さい。あの……ハァ……ハァ……。息が……。フゥー……僕、菅原って言います……」
「菅原……。誰?」
「フゥー……。フゥー……。よし、大丈夫。僕ですよ。僕。何度もお会いしたじゃないですか。『パーラースマイル』で。探しましたよ、三浦さん」

 

パーラースマイル。自分を最初に出入り禁止にしたホールだ。思い出した。この顔は確かにそうだ。あのお店の店員だ。

 

「……探した?」
「ええ。そうです。もうねぇ、一昨日から……中番と遅番の皆で、朝から三浦さんが行きそうなお店を張り込んでたんですよ……。僕じゃんけんに負けちゃって4店舗も受け持ちだったから、もう大変で……。チャリンコもないのに、結構離れてるんだもんこの辺のお店……。でも良かった、ようやく見つかりました!」

 

頭の中に幾つもの「?」が浮かんだ。最初に思ったのが、もしかしてバカにされてるんだろうか、という事だった。きっと動物園の珍獣みたいに、みんなして私のことを探して面白がっているんだろう。そう考えると、腹が立ってきた。

思わず菅原と名乗った男をにらみつけたが、相手は気にした様子もなくそのまま誰かと連絡を取り始めた。

 

「あ、どうもー。菅原です。吉田くん? 見つかったよー三浦さん。うん。うん……。ええとね、T駅のところのねぇ、『ストライクプラザ』だね。……そうそう。藤瀬さんたちにも言っといて! 今日の張り込み終了! 現地解散でいいからねー。はい。うん。はいー。ありがとー」

 

スマホをポケットに仕舞い、改めてこちらに向き直る菅原。照れたような笑顔を浮かべているように見えたが、どうやら元からそういう顔らしい。

 

「すいません三浦さん。勝手に探しちゃって」
「あなた、バカにしてる? 私の事」
「え? 何でですか」
「だってそうでしょう。……みんなで張り込み? 探してた? 何のために? 笑うためでしょう私のこと。そうやって面白がって……バカにして……。ふざけないでよ……」
「い、いえ! そんな。バカにしてなんかいませんよ! え、てか何で僕が三浦さんの事をバカにするんです?」
「何でって……」

 

ふと冷静になって自分の姿を見た。薄汚れたスニーカー。裾のほつれたジーンズとニット。髪の毛はボサボサだし、メイクもしてない。持ち物はハンドバック一つ。

 

「こんな格好で、朝からパチンコホールに並んで……、家にも帰らず……ううん。帰れず。お金もたくさん使って……」

 

二人で貯めたまだ見ぬ子供の為の育児貯金。庭先にはブランコを作って、家族皆で遊びましょう。脳裏に、いつかホールで放り投げた一万円札の束が蘇ってきた。空調に舞うように。バラバラになってゆっくりと舞い落ちていた。

 

「バカなんだから、バカにしてるんでしょう……」

 

うつむいたまま言う。少し離れた所で行列を作っているお客のうち何人かが面白そうな顔で此方をみているのが分かった。

 

「そんな……。ちょっと、三浦さん。しっかりしてくださいよ。三浦さんはバカじゃないですし、僕もバカにしてないですってば。だって──……」

 

顔を上げる。目が合った。やっぱりちょっと笑いながら、男は続けた。やっぱりちょっとだけ笑いながら。

 

「だって、苦しんでるじゃないですか。三浦さん」

 

 

続く

 

※この物語はフィクションです。実在の団体・法人・ホールとは一切関係ありません。

 

人物紹介:あしの

浅草在住フリーライター。主にパチスロメディアにおいてパチスロの話が全然出てこない記事を執筆する。好きな機種は「エコトーフ」「スーパーリノ」「爆釣」。元々全然違う業界のライターだったが2011年頃に何となく始めたブログ「5スロで稼げるか?」が少しだけ流行ったのをきっかけにパチスロ業界の隅っこでライティングを始める。パチ7「インタビューウィズスロッター」ななプレス「業界人コラム」ナナテイ「めおと舟」を連載中。40歳既婚者。愛猫ピノコを膝に乗せてこの瞬間も何かしら執筆中。