50年前のパチンコ屋さんの名前ランキング ~トリビア篇~

50年前のパチンコ屋さんの名前ランキング ~トリビア篇~

こんにちは、偏愛パチンコライターの栄華です。

このサイトは、栃木県と東京都でパチンコホール「BBステーション」を経営する株式会社大善の「採用サイト」でございます。 

 

<前回・前々回のおさらい>

全国のパチンコホールの名簿「全国遊技場名鑑」(娯楽産業協会編)。筆者が閲覧可能な中で最も古い1972年の店舗情報9,188件を集計し、当時パチンコ店の店名に最も多く使われている単語や店名のランキングを紹介!

前回の「店名篇」も大勢の方々から反響をいただき感激しました。それで味をしめたというわけではありませんが、まだまだ皆さんに知っていただきたい面白ネタが残っているので最後に「トリビア篇」として大放出したいと思います。

 

 

 

珍名さんいろいろ

まずは、珍名&時代を感じる店名を紹介。この記事を書くキッカケを頂いたYouTubeチャンネル「パチ屋の裏研修」さんの動画に倣って「ユニークな店名」「最も長い店名」「最も短い店名」も調べましたよ。

 

 

金の玉

動画の中でハカセちゃんが「ビビッときた店名」に挙げていた「金の玉」。

 

2017年に訪問しました

 

同じ名前のホールは50年前にもありました。なんと11店舗もです(そのうち数店舗は系列店だった模様)。なぜこんな店名に…? と想像したとき、浮かんだことが2つあります。1つ目はこちら。

 

 

「丸玉観光株式会社」という企業が経営していたパチンコ店「マルタマ」が昭和30年代に作っていたと思われる広告マッチのラベルです。どのラベルにもなぜか「金の玉」と書いてあります。丸玉観光は、この記事にも書いた通り、前例のないアイデアでレジャー業界を牽引した企業です。座って遊技するシマ(当時のホールは立って遊技していた)を初めて作ったのも丸玉観光だと言われています。

 

「金の玉マルタマ」はキャッチコピーのようなものだったのでしょうが、もしかすると金色に着色した遊技球を使っていたのでは? と想像してしまいました(※そういった資料は今のところ見つかっていません)。ゴージャスで先進的なマルタマのブランドイメージにあやかろうと「金の玉」と命名したホールがあったのかも……という想像はちょと強引でしょうか。

 

もう1つ浮かんだのは「金の卵」という言葉です。「ダイヤモンドの原石」みたいな意味合いで使われる表現で、太平洋戦争後の高度経済成長期には、集団就職する中卒労働者が「金の卵」と呼ばれました。集団就職を歌った井沢八郎さんの「あゝ上野駅」がヒットしたのは1964(昭和39)年。この時に流行した店名が1972年に残っていたのでは……と、これまた強引な推理をしちゃいました。

 

裏研修のお三方はシモネタ的な捉え方をされていましたが、「子宝」のイメージにもつながり、縁起の良い店名ですよね。

 

 

「でる」系

株式会社大善の社員「なめこ」さんは、過去に出会った最もインパクトのある店名として「タマデン(玉出ん)」を挙げておられました。確かにすごい店名ですね。「出る(デル)」という言葉が店名に含まれたホールは現在も50店以上ありますが、「出ない」と受け取られかねない店名を付けるとは逆に痛快です。50年前、類する店名はどのぐらいあったのでしょう。

 

なんと、1店舗しかありませんでした(「ヨーデル」という店)。

 

これは意外。でる系の店名が増えてゆくのは1972年より後なんですね。

これと関連して気になったのが「ハイル」という店名です(2店)。当時はまだチューリップ台が中心だった時代。玉を出すというより「チューリップや賞球口に玉を<入れる>遊び」という認識が強かったのではないでしょうか。

 

マッチラベルに「入る」という文言がよく見られた昭和30年代

 

 

最も長い、短い店名

裏研修さんの調査では、2020年版最も長い名前のホールは23字。短い店名は2字だったそうです(ひらがなにしてカウント)。1972年版はどうだったかというと……、

 

最長:丸之内湊町支店スマートボール

(まるのうちみなとまちしてんすまーとぼーる→20字)

最短:綾、星、きく

(あや、ほし、きく→2字)

 

でした!

最長は銀行みたいだし、最短はスナックみたいですね。

 

 

東京駅

我らがBBステーションの創業店舗は、1971年にオープンした「東京駅」という名のホールです。「東京駅」は栃木県佐野市にありました。このように「所在地と違う場所の駅名」を付けたホールは他にもあったのでしょうか?

 

全国遊技名鑑を確認すしてみと「駅」というワードが店名に含まれているホールは91店舗ありました。しかし、驚くべきことに駅名を明記しているのは3店だけだったんです。え、どういうこと?

 

一番多かったのが「駅前○○」という店名です。駅前ホール、駅前会館、駅前センターなどなど。「佐野駅前ホール」とかではなく「駅前ホール」です。エリア外からわざわざ訪ねて来る人はめったにおらず、地元客ばかりなので「駅前」だけで通じたのでしょうね。

 

 

そして具体的な駅名が含まれていた3店は、なんすべて「東京駅」でした。つまり、佐野市以外にも同じ名前のホールがあと2店(茨城県と新潟県)あったのです。前述の集団就職しかり、大都会東京に特別な憧れを抱く人が多い時代だったのでしょうね。

 

 

 

クイズの時間です

お待たせしました、ここからは店名クイズです。

一問一答式に書くと答えが先に見えてしまってテンションが下がるので、先に問題だけ載せますね。全5問です!

 

<問題1>

50年前のパチンコ店の名前に最もよく使われた「色」は?

 

<問題2>

50年前のパチンコ店の名前に最もよく使われた「アルファベット」は?

 

<問題3>

50年前のパチンコ店の名前に最も多かった海外の地名は「モナコ」ですが、2位はなんでしょう?

 

<問題4>

50年前のパチンコ店の名前に最も多く使われた動物は「タイガー」ですが、2位はなんでしょう?

 

<問題5>

50年前のパチンコ店は、末尾が「屋(ヤ)」で終わるネーミングがとても多く見られました。では次の①~⑤の中だと、どれが一番多かったでしょう。

①○○園

②○○俱楽部

③○○号線

④○○ゲームセンター

⑤○○ランド

 

いかがでしょう。

解答し終えましたか?

ファイナルアンサーですか?

このあと解答を載せますよ?

 

 

 

正解発表

<問題1>

50年前のパチンコ店の名前に最もよく使われた「色」は?

 

▶正解は、「銀」(279店)です。

前回分を読んでくださった方には簡単な問題でしたね。店名ランキングで「銀座」というホールが1位だったのでおのずと多くなるわけです(住所に「銀座」という文字が入っているホールは除いてます)。他には「銀星」「銀鈴」「一銀」などが多く見られました。

銀に続いて多かったのは「赤」(赤玉など)「金」(金龍など)で、どちらも約70店でした。

 


 

<問題2>

50年前のパチンコ店の名前に最もよく使われた「アルファベット」は?

 

▶正解は、「B」と「K」(どちらも18店)です。

1位が18店ということで、いかにアルファベット表記の店名が少なかったかお分かりいただけるでしょう。2020年の店名では「P」「A」「M」がトップ3でしたが、50年前は「P」0店、「A」15店、「M」9店でした。

 


 

<問題3>

50年前のパチンコ店の名前に最も多かった海外の地名は「モナコ」ですが、2位はなんでしょう?

 

▶正解は、「ハワイ」(19店)です。

3位:香港(ホンコン)……17店

4位:ニューヨーク……12店

「モナコ」(157店)に比べると、2位以下はたいした軒数ではないもののバリエーションが豊富です。ニューヨーク、ラスベガス、ハリウッド、テキサス、マンハッタン、マイアミ、モンタナ、アラスカ、華盛頓(ワシントン)とアメリカが多め。その他、ロンドン、ナポリ、ローマ、ベニス、オランダ、コルドバ、上海、マカオなど。しかも、現在も同じ店名がほぼ残っています(2020年は「ラスベガス」が24店で1位)。

 

パチンコ店の名前には「憧れ」が反映されていた?

 


 

<問題4>

50年前のパチンコ店の名前に最も多く使われた動物は「タイガー」ですが、2位はなんでしょう?

 

▶正解は、「雀」です。

これはちょっと引っ掛け問題でしたね。「すずめ」ではなく「じゃん」と読みます。そう、50年前は雀球店が多かったのです。

1位:タイガー(虎)……46店

2位:雀……42店

3位:ライオン……25店

4位:亀(かめ)……21店

5位:ひばり(ヒバリ)……19店

 

5位の「ひばり」はこの方にちなんだ可能性も?

 


 

<問題5>

50年前のパチンコ店は、末尾が「屋(ヤ)」で終わるネーミングがとても多く見られました。次の①~⑤の中だと、どれが一番多かったでしょう。

①○○園

②○○俱楽部

③○○号線

④○○ゲームセンター

⑤○○ランド

 

▶正解は、④ゲームセンターです。

「地名+ゲームセンター」という形が多く見られました。地名や屋号がなく「ゲームセンター」だけの店や、「ゲームセンター○○」と屋号がうしろに来るパターンも含めると全部で114店。ゲームセンターという名のパチンコ店があった事実は知っていましたが、こんなに多いとは驚きでした。

 

その名残は現在も見ることができます

 

1972年のパチンコ店はパチンコ機だけではなく、スマートボールや雀球、また「ラッキーボール」といった遊技機を設置するホールもありました(翌年からアレンジボールも流行)。また、今で言うところのゲームセンターっぽいもの(海外のメダルゲーム等を設置していた)も出始めていたようですが、当時はまだ風営法の許可が必要なかったそうです。

 

ラッキーボール(「全国遊技場名鑑」掲載広告より)

 

 

最後に私のお気に入りを

50年前の店名シリーズ三部作、お陰様でグランドフィナーレです。たいへんマニアックな企画でしたが、お付き合いくださってありがとうございました。最後は、私が個人的に大好きな店名をご紹介します。

 

<ほんとにパチンコ店?>

「保険堂」

「ロマンス座」

「つりぼり」

 

<訴求力高し!>

「開運」

「初あたり」

「おいで」

 

<ホッコリ系>

「なかよし」

「アハハ遊技場」

「ホガラカ遊技場」

 

1972年だけでこんなに楽しめたのですから、他の年も集計すればさらに色々なものが見えてくるでしょう。遊技場名鑑から手動でエクセル入力するのが一苦労ですが、1店1店のホールについて想像しながら作業するのはたいへん尊い時間でした。またひとつライフワークが増えたと思ってじっくり取り組みます。新しい発見があったらまたご報告しますね。

 

貴重なデータをお分けくださった娯楽産業協会さん、YouTubeチャンネル「パチ屋の裏研修」さんに深謝いたします。

 

◆参考にさせていただいた動画

https://youtu.be/if7LgBOzqs4

 

 

<追記>

●「1987年バージョン」を集計するにあたってカウント方法を確認・見直した結果、数値に修正を加えました(2022.11.1)

 

ランキング~単語篇~はこちら

ランキング~店名篇~はこちら

 

 

<参考・引用文献>

『全国遊技場名鑑 ‘73 東日本篇』娯楽産業協会 1972年

『全国遊技場名鑑 ‘73 西日本篇』娯楽産業協会 1972年  

『遊技通信で見るパチンコ業界の60年』株式会社遊技通信社 2011年

『ゲームセンターの店舗形態別研究の必要性―先行研究及び二次資料を中心に―』川﨑寧生 2012年

 

 

ライター紹介:栄華

パチンコライター。全国2500ヶ所以上のパチンコ店を探訪し写真撮影を行うほか、パチンコ書籍やパチンコ玩具等の蒐集など周辺文化の探究に軸足を置いた活動を行う。パチテレ!「パチってる場合ですよ!」「パチンコロックンロールDX」レギュラー。パチンコ必勝ガイドにて「栄華の旅がたり」連載中。著著「八画文化会館VOL.7 ~I ♡ PACHINKO HALL パチンコホールが大好き!!~」が好評発売中。 偏愛パチンコバンド「テンゴ」で作詞とボーカルを担当。